『ガッチャマンクラウズ インサイト』1話、「contact point」をhuluで視聴しました。『クラウズ』後の世界で、どんな物語が展開されるのかっていうのがめっちゃ気になってテレビ放映まで待てず。これからどうなるか、まったくわからないんですが、とりあえず1話見た段階での感想を書き留めとこうと思います。
日常に溶け込むクラウズ、新たな来訪者
2016年夏。立川で起きた事件から1年、クラウズはもはや日常風景の一部と化していたが、一方でVAPEと名乗る集団によるテロも発生し、その規制を求める声もあがっていた。そんな中、新潟県長岡市に異星人が飛来する。その異星人が逢着したのは、奇しくも新たなガッチャマンとなる宿命を背負った女の子の家だった。
新たな異星人の訪問で、『ガッチャマンクラウズ インサイト』は幕を開ける*1。一見して感じたのは、明らかに『クラウズ』後の世界がそこに描かれてるなあ、ということ。それはガッチャマンたちの変化からも、「社会」の変化の様子からも、明らかに『クラウズ』の後、というのを意識していることが読み取れる。
はじめをはじめとするメンバーたちは誰でも知ってるヒーローになっているし、ODはテレビタレント、丈は市長の秘書と、『クラウズ』とは立ち位置を変えている。パイマンも立派にリーダーしてるし。そして彼らをとりまく社会も、クラウズやガッチャマンの存在をもはや当たり前のものとして受け入れている。ガッチャマンも社会も、立川の事件を経て大きく変わったのだ。
続編なんだからそんなの当たり前じゃないか、というご指摘はごもっとも。しかし、『ガッチャマンクラウズ インサイト』におけるそれは、他の続編のそれとはまったく違う重みをもつ。それは、『クラウズ』でみせたヒーロー像や社会における希望を、さらにアップデートさせて提示するという決意表明と受け取ることができるからである。だから僕は『ガッチャマンクラウズ インサイト』に死ぬほど期待したい、というわけなんですね。はい。
お話がどうなるかは、『クラウズ』がそうだったように、『インサイト』でも1話の段階では漠としてわからないんですが、一応気になった点を以下で適当に書き留めておこうと思います。
未熟なガッチャマン、三栖立つばさ
『クラウズ』と極めて対照的だと感じたのが、新入りガッチャマンの性格。一ノ瀬はじめは、はじめからはっきりと超然とした女の子だったけど、三栖立つばさは結構普通なんじゃないかという。はじめはJ・Jを正面から受け入れたけど、つばさは背中からだったりとか、そういう面でも対称性は感じられる。
つばさのパーソナリティについては花火師の家に生まれ、自分も立派な花火師になりたいと強く願っている女の子、というぐらいしかわからないですが、とりあえず、高校生の少女っぽい未熟さみたいなものは強調されている気がする。
オープニングの前、アバンパートで会話するつばさと曽祖父、ゆる爺。花火師の法被を着たいと無邪気にいうつばさに、曽祖父はこう返す。
「わたしもそれ、着たいなー!」
「まだまだ」
「えー!なんでー?」
この文脈では花火師として未熟、という感じだけど、「着たい」のがGスーツでも多分これは成り立つ。はじめて変身したつばさは混乱し、自分を取り囲むマスコミを暴力で脅す。これが1話での彼女の立ち位置なわけだ。
それと彼女の未熟さを示すのは、「呼吸の浅さ」。祖父は彼女にもっと深く吸え、と強くいう。この呼吸をめぐる問題も、公式サイトのストーリーのイントロを読む限り重要っぽい。
現代人は速すぎる 呼吸も速く浅い
ゆっくり深くが僕らは苦手だ
未熟なつばさが、どのようにガッチャマンという特別な力を飼い慣らしていくのか。特別な力は彼女をどう変えてしまうのか。順当に考えれば、『クラウズ インサイト』はつばさが「ゆっくり深く」呼吸ができるようになる物語、という風に考えられそうだが、果たして。
オープニングの演出から推測するに、つばさをはじめが引っ張り上げる、みたいな展開がありえそう。そうすると、はじめの別の一面もみえてくんのかな。
こころの可視化
新たな登場人物、異星人ゲルサドラ。彼女はどうやら、地球人の心の様子、感情を可視化する力があるっぽい。この可視化されたこころも、『インサイト』でキーになるのかも。
「可視化された心」自体は、『クラウズ』の段階で意識されてもいた。以下は公式サイトの中村健治監督のインタビューから抜粋。
世界は今、2つの新たな局面に差し掛かっています。
1つ目は、有史以来初めて、僕らの心がネットにより可視化された事。
可視化された心が起こす様々な問題や騒動をどう捉えていいか解らず、
個人も社会もただただ戸惑っています。*2
ネットによりぼんやりと可視化されてしまった心、というのをより先鋭化させて描くためのギミックが、ゲルサドラの能力なんじゃなかろうか。
可視化された心は、それ自体が他者の心に影響を及ぼし、変化を促す力をもつ。それがまた他者に...という風に心の変化は伝播し連鎖し循環する。そうしてその場所を共有する集団の「空気」が決定される。その連鎖は、1話でもつばさの家のリビングで描かれた。
このこころの可視化で際立つのが、またしても一ノ瀬はじめの特異性。周囲のこころの様子はその揺れ動きに応じて色を変えるが、彼女のこころは今のところ常に灰色のまま。つばさの曽祖父ゆる爺もそんな感じなので、なぜ灰色なのか、というのは今のところはっきりとはわからないけど。
これに関してもオープニングで意味深な演出があって、はじめが色彩豊かなこころに塗りつぶされてるようにみえる場面がある。
ベルク・カッツェすら自身のうちに受け入れたはじめが膝を折るところなんて想像もつかないわけですが、周囲かた明らかに浮き上がった灰色の心を、周囲の人間はどうみるのだろうか。それがはじめにダメージを与えるんじゃないか、という気がしないでもないです。
ガッチャマンとして、ポジティブな意味で特別な存在である彼女が、ネガティブな意味でも「特別」だったとしたら?それを彼女を慕う人々はどう受け取るのか、みたいな。
これと関連して、 ゲルサドラが口にだし、つばさも賛意を示した「みんなひとつになればいいのに」というヴィジョンがえげつなく機能するんじゃないか。「みんな」と明らかに違う「こころ」が可視化されたとき、それに耐えうる関係性をわたしたちは築いているのか。「空気」は異質な人間を排除する方向に向かうんじゃないのか。その差異に向き合う強さをもった関係こそ、「日本には社会がない」*3という言明の際に意識されている「社会」なのかも、とも思ったり。
それから推測すると、はじめたちの前に立ちはだかる者たちの姿も見えてくるような気がする。『クラウズ』の敵役、ベルク・カッツェは人間の悪意につけ込み、それを際限なく増幅させる力をもっていた。しかしその悪意の快楽が、善意を行うことの快楽に圧倒されるようなゲームを仕組まれた時、カッツェの能力は意味を失い敗北した。極めて単純な図式化ですが。
だから『インサイト』ではむしろ善意からくる行動がサディスティックな事態を招くのでは、という気がする。善意から行動する人々が異質な他者を排除し始めたとき、ヒーローはどう行動するのか。それが僕は気になります。
ベルク・カッツェは再び立ち上がるのかとか、立ち上がらないとしたらカッツェ以上の悪役を描けるのかとか、いろいろ思うところがあるんですがとりあえずこんな感じで。
『ガッチャマンクラウズ』はろくな感想を書けていないので再見して書いときたいかも。
関連
「空気」と戦う、といえば。
滝沢が「空気」と戦うためにとった具体的な戦略は、世代間の断絶を埋める、というものだった(と思う)。滝沢以上に「特別な力」をもつガッチャマンたちが「空気」にどう相対するのか、っていうのはめっちょ楽しみです。
11話までみての雑感。
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*1:前日譚の0話、首相暗殺未遂事件を描いた「inbound」は、だからあくまでプロローグのプロローグにすぎない、と思う。
*2:http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/intro/index.html
*3:公式サイト、ストーリーのイントロを参照。 http://www.ntv.co.jp/GC_insight/story/intro.html