宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

悪いやつらはグルになる――木庭顕『誰のために法は生まれた』

誰のために法は生まれた

 木庭顕『誰のために法は生まれた』を読んでいて、非常に啓発されたので、メモを残しておきます。

  本書は、ローマ法を専門とする著者が桐蔭学園の生徒を前に行った講義をまとめたもの。主題は書名の通り、法の使命と機能。各回ごとに映画ないし戯曲を取り上げて、そのテクスト解釈を通してその主題を提示するというような形式。取り上げるテクストは、溝口健二近松物語』にはじまり、『自転車泥棒』を経て古代ローマギリシャの悲喜劇が扱われる。

 木庭顕さんを知ったのは稲葉振一郎『政治の理論』中で引用されていて、「木庭顕『ローマ法案内』が広く理解されたなら、本書(『政治の理論』)は意味がなくなるとまで評していたから。

政治の理論 (中公叢書)

政治の理論 (中公叢書)

 

 それで昨年刊行された『新版 ローマ法案内』を手に取ったんですが、ぜんぜんきちんと読めていなくて、そんな折に 『誰のために法は生まれた』が目に入ったので、こちらから読み進めようと思ったわけです。結果的にこれはめちゃくちゃよかったんじゃないかという気がしていて、著者の問題意識(なぜローマ法が現代にあっても重要なのか)が分かった気になり、『ローマ法案内』を読むよいとっかかりになったなという感じです。

新版 ローマ法案内: 現代の法律家のために

新版 ローマ法案内: 現代の法律家のために

 

 

 『誰のために法は生まれた』がなぜ読みやすいかといえば、それが中高生向けの講義をもとにしている、という点にあるのではなく、なによりテクストの読解が抜群におもしろいからではないかと思います。テクスト解釈の手際はほれぼれするほどお見事で、生徒から反応を引き出しつつ、そのテクストでいったい何が問題になっているのかを、自身の問題関心に引き寄せて簡潔に語るその語り口で、いつのまにか我々は作品を通して法とはなにか、という大問題に接近しているというわけです。

 テクスト読解のおもしろさを担保するものは、まあ様々あるでしょうが、ある学問のディシプリンを骨肉化しているという専門性、これに勝るものはないのではないか、とすら思いました*1。その作品における主題を、自身の問題関心に引き付けて摘出するその腕力の前では、有象無象の語りなどしょうもないおしゃべりにすぎないのではないか。

 そんなことはさておき、本書が強調する法の機能は、徹頭徹尾「徒党の解体」にある、ような気がします。悪い奴らがなぜ悪いかといえば、それは徒党を組んで=グルになって、一個人を犠牲にするからなんだと。一人で悪事を行うことは困難である一方、グルになってしまえば悪事の成功率は格段にアップする。だから、法は徒党を解体し、弱い個人を守るためにある。

 法をそのように機能させるため、古代ローマで用いられていた概念が「占有」なのだが、それは現代日本社会ではある判例によって息の根をほぼ絶たれている(というような話が5章の趣旨だったと思うのだけど、ちがうかも)。法を法として機能させる何事かの働きを、古代ローマの喜劇に、あるいは古代ギリシャの悲劇に読むわけです。

 テクストのなかに、その時代における社会のありようを見出してみせる、という言い方をすると牽強付会的な雰囲気がただよいますが、作品を明確に構造化し、当時の社会の実態を踏まえたうえで、そのなかに法の機能を見出す、という手続きを踏んでいるので、めちゃくちゃ説得的であるなあと思いました。本書のテクスト読解はそういう意味でも啓蒙的かも。

 

 

 

誰のために法は生まれた

誰のために法は生まれた

 

 

新版 ローマ法案内: 現代の法律家のために

新版 ローマ法案内: 現代の法律家のために

 

 

  本書の講義が行われた桐蔭学園ってこういうの以前もやってなかったっけと思ってググったら、桐光学園と混同していたようです。しかし、こう、文化資本のあれを感じてやんなりますね。

 

 

 

*1:これはぼくの知性あこがれのあれによるところ大かもしれませんが