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「特別さ」と二つの涙 ――『響け!ユーフォニアム』感想

響け!ユーフォニアム 7 [Blu-ray]

  落ち着いたらみようと思っていた『響け!ユーフォニアム』をみました。ノックアウトされた。以下感想。

 「あんたは悔しくないわけ?」 

 中学三年、最後の大会。結果は金賞。ダメ金だけど、金。三年間がんばってきた結果としては、まずまず、いやかなりいいとこいけたんじゃないか。そんな満足感を味わう黄前久美子の隣には、膝に顔をうずめて嗚咽する、もう一人の少女、高坂麗奈。「高坂さん、泣くほどうれしかったんだ」。そんな風に彼女の胸中を推し量った黄前久美子の予想はドラスティックに裏切られる。「あんたは悔しくないわけ?」。高坂麗奈のこの言葉が、黄前久美子の物語の始まりを告げる。

 そんな彼女の物語は、まずなによりも「悔しい」と思えるようになる物語であり、それは中学最後の大会、つまり物語の始まりの場所において高坂麗奈の立っていた場所に、黄前久美子も立つ、そういう物語である。それはつまり、彼女も高坂麗奈と同じく、「特別」になりたい、その意志を心に宿す物語である、と言い換えてもいい。

 彼女がその場所に立つために、高坂麗奈のことをもっと知らなければならなかったし、そして自分の武器であり身体の一部であるユーフォニアム、自分自身の意志で選び取ったのではないその楽器を、「好き」だとはっきり言えるようにならなければならなかった。「悔しい」と思えるようになる物語は、高坂麗奈と近づいていく物語と、ユーフォニアムを好きになる物語と密接に絡み合い、それらが混然一体となって黄前久美子を突き動かすのだけれども、そんなふうに無数のドラマをそのうちに織り込んで進む時間のことを、青春と呼んでもいい、と思う。

 

青春をとりまく環境

 そんな青春の物語の強固な基礎をなすのが、学校空間をはじめとする黄前久美子を取り巻く世界のリアリティである。彼女が属する吹奏楽部の世界は、僕にとってそれは学校空間の内部で同じ時間を過ごしながらも、その内実をよく知らない、そんな世界なのだけれども、そういう人間の目から見て、いかにも「現実の吹奏楽部」ってこんな感じなのだろうな、という説得力をもって描かれる。

 それは校舎の中で散らばって練習する風景であったり、楽器の積み込みをする部員の姿だったりするのだけれど、そんな目に見える吹奏楽部員の姿以上に、目には直接映らないものの演出の迫真性こそが、吹奏楽部の世界のリアリティを担保しているように僕には思われた。目標を決める際の若干なあなあな雰囲気、厳しい指導によって引き締まる空気の感覚、そして実力で勝る下級生に対する視線。目標を共有できない人間はその場所を去っていき、それが波紋を巻き起こす。年功序列の価値によっておおわれていた集団に、能力主義エートスが流れ込んできたことで生まれる混乱。そうした、目には見えないけれども*1確固として存在し、成員の心理に大きな影響をおよぼす何事かの演出が、「特別になりたい」ものたちの物語に強烈な迫力を付与している、と思う。

 そうした目に見えないものをさらに支えるのが、多分、学校空間をはじめとする、目にはっきりと映る背景のリアルさで、楽器の音が響いてそして溶けていく、そうした空間がかっちりと映し出されているからこそ、目に見えないものがリアリティをもってにじみ出る可能性が生まれ、そしてその可能性は確かに掬い取られるのだと思う。

 「特別」という十字架

 そのようなリアルな環境で展開される青春の物語は、だから時として残酷な相貌をまとう。その残酷さは、「特別」であることをめぐっていかんなく発揮される。高坂麗奈中世古香織のソロパート担当者の座をめぐってのオーディションの場面で、その残酷さは一つの臨界点に達する。高坂は実力ではっきりと中世古を圧倒する。モノローグなど言葉での説明抜きで、演奏だけで両者の力量にははっきりとした懸隔があるのだ、と納得させてしまう演出は白眉だと思うのだけれども、それ以上に、「特別」であり続けるためには、他の人間の「特別」さをそのたびごとに剥奪し、「特別」でなさを突き付けていかなければならない、そういう「特別」であることによって背負わなければならない十字架みたいなものがはっきりと画面に焼き付いていることが、僕には非常に強く印象に残った。「特別」であることの十字架を背負ってみせるという意志が生み出す輝きというか、悪魔的な美しさは8話「おまつりトライアングル」のラストに強烈な印象を残しているけれども、その十字架が紛れもなく本物であり、「特別」でないもの、いや「特別」であろうとして果たせなかった無数の人たちの血によって染まったものなのだという実質を垣間見せた11話「おかえりオーディション」は、黄前久美子の物語にとっても大きな位置を占めるだろう。

 その直後12話「わたしのユーフォニアム」において、黄前久美子は「麗奈みたいに特別になりたい」とはっきり宣言する。彼女もまた、1年先輩である中川夏紀ではなく自分が選ばれた、という十字架を背負っている。その十字架は中川の気遣いによって、だいぶ軽くはなっているのだろうけど。「上手くなりたいという熱病」に憑かれた彼女の必死の跳躍は、しかしあっさりと水を差される。実力が十分ではない、という冷静な、一瞬で下された判断が、彼女は未だ「特別」になりきれない存在なのだという事実を突きつける。それでも、黄前久美子は「特別」を目指すことをやめない。それは、ユーフォニアムが好きだから。そして、「特別」を目指し続けることによって、いつしか「特別」になってみせるという意志が彼女のなかに宿っている限り、彼女が「特別」になれる可能性は絶対になくならないのだと信じているから。

 こうして、「特別」である十字架を背負って立つ高坂麗奈の物語に導かれ、「悔しい」と思える場所に至ったことで、黄前久美子の物語にひとつの区切りがつき、そして多分、「特別」を目指す黄前久美子の新たな物語がはじまる。それを祝福するのかの如くコンクールでは「三日月の舞」が鳴り響き、そして物語の始まりを告げた高坂麗奈の涙が結末において反復される。悔しさの涙で始まった物語は歓喜の涙によって幕を閉じ、そしてまた、次の物語が始まるのです。

 黄前久美子の物語は「特別」さをめぐる物語であったと思うのだけれども、それと同様に、多くの「特別さ」をめぐる物語が様々な響きをもってさながら合奏のごとく響いているのが、『響け!ユーフォニアム』である、と思いました。溶け合って響くそれらの音を僕はたぶんほとんど拾いきれてはいないのだと思うのだけれども、それはまたの機会に、耳を澄まして掬い取っていければなと思います。

関連

2期の感想はこちら。

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2期も含めて、選択することが如何に提示されたのか、みたいなことを考えたのが以下の記事。

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「確固たる特別さ」に対する「さりげない特別さ」を提示した(と僕が勝手に思っている)『氷菓』に対して、『響け!ユーフォニアム』は徹底的に「確固とした特別さ」を画面にとらえ続けたよな、なんて思ったりしました。そんなふうに「特別さ」の系譜みたいな感じで文章を書いたら面白いんじゃないかと『氷菓』にかかわる文章を書いているときも思ったのですが、『響け!ユーフォニアム』によってまた「特別」さの含むところが豊かになったのではないか、なんて思ったりもします。

 

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 先日視聴した『たまこまーけっと』と比べるとめちゃくちゃ学校出ててきて安心しました(?)

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 劇場版の感想。

 

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 『響け!ユーフォニアム』の校舎描写はこれまたフェティッシュでよかったなーと。校舎、いい仕事してたと思います。

 

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のだめカンタービレ』と比較すると演奏シーンの演出っていうのはえらい遠くまできたんだなと思ったり。『のだめ』はホールでの演奏シーンの頻度が『響け!ユーフォニアム』とは比べるとめっちゃ多いので単純に比較するのはあれかもですが。

 

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TVアニメ「響け! ユーフォニアム」 オフィシャルファンブック

TVアニメ「響け! ユーフォニアム」 オフィシャルファンブック

 

 

 

 

【作品情報】

‣2015年

‣監督: 石原立也

‣原作:武田綾乃

‣シリーズ構成・脚本:花田十輝

‣キャラクター原案:アサダニッキ

‣キャラクターデザイン:池田晶子

‣シリーズ演出:山田尚子

美術監督:篠原睦雄

‣音楽:松田彬人

‣音楽制作協力:洗足学園音楽大学

‣アニメーション制作:京都アニメーション

*1:いや画面を通してアニメをみているんだから結局目に見えてるともいえるのかもしれないけど