『コードネーム U.N.C.L.E.』(原題:”The Man from U.N.C.L.E.”)をみました。劇場でみようか、いやDVDでいいんじゃないかとかだいぶ逡巡していたのですが、普通に面白く、行ってよかったです、はい。以下適当に感想。ネタバレが含まれます。
現代はスパイにはつらい時代だ。本物のスパイはどうか知らないけれど、すくなくとも、映画の中のスパイたちは大変景気が悪そうである。アメリカではIMF*1が解体の危機に晒されているかと思えば、英国でも00部門はその有用性を疑問視されている。超人的な力を持つ有能な工作員を送り込み、バンバン火薬を炸裂させて事件を解決するようなスパイは、もはや時代遅れも甚だしい。諜報戦の最前線はもはやそういうところにはなく、指揮官が椅子に座って無人機の攻撃を指揮する、そういうふうな時代になっている、そんな認識が最近のスパイ映画を貫いているように思える。
そんななかでかつてのようなスパイ活劇を描こうとするなら、『キングスマン』がそうしたようにあえて時代錯誤を引き受けたうえで突き抜けてみせるか*2、現代ではなく、スパイの存在価値が自明視されていた古き良き時代を舞台にするしかない。世界が東と西にはっきりと分かたれ、いつ核戦争が勃発するともしれぬ、そんな古き良き時代を。
冷戦下のスパイを、現代的なスパイいらなくね?的な雰囲気のなかにおいたのが『裏切りのサーカス』だとおもうんですが、我らがガイ・リッチーはそんなことはしない。スパイがもっとも華やかりし時代に、スパイが躍動する。アメリカ合衆国とソヴィエト連邦という、互いに睨みを利かせしのぎを削る超大国の一流スパイが、呉越同舟的に手を組み、世界の危機を阻止する。そんなストレートな筋立てを、凸凹コンビの丁々発止のやりとりと、ガイ・リッチーにしてはスタイリッシュな演出で魅せる。
時代状況を説明するオープニングのかっこよさは『キングダム 見えざる敵』や『アルゴ』なんかに通じるものを感じ、おーやるじゃん(えらそう)と。敵地への潜入や悪役との銃撃戦のようなスパイ映画にありがちなシークエンスは、画面を分割し漫画のコマ割りの如く大胆に省略してスピーディにみせる。この演出は、「こういうのがみたいんなら他のスパイ映画をみてね!」的な潔さを感じ、この映画の魅力はやっぱり凸凹コンビにあるのだなあと。
資本主義の申し子のごとき伊達男=ナポレオン・ソロと、共産主義の理想が具現化したかのような堅物=イリヤ・クリヤキンという水と油の組み合わせが醸し出す得も言われぬ雰囲気がこの作品の魅力のほとんどをしめる、といってもいい気がする。ガイ・リッチーお得意の真面目なやついじりが冴えわたり、真面目なクリヤキンくんは行く先々でおちょくられたり挑発され、ときにぶちぎれる。この二人のコンビに、直近の監督作のホームズとワトソンを重ねずにはいられないが、ホームズ的に無法なナポレオン・ソロくんは意外に腕っぷしはそれほどでもなく、かたやワトソン的に気の毒なクリヤキンくんは無類の豪傑なので、なんというか凸凹のバランスはこちらのほうがいいかな、って感じ。
直情筋肉マンのクリヤキンに比べると、ナポレオン・ソロは、そんなに戦闘力を発揮する場面ってなくて意外に感じたのだけれど、小技を利かせて粋に危険を回避したりしなかったりするのがいい。最後にいいとこを持ってくのが暴力でなく話術で、そして決定的な破局を回避するのも彼の小粋な手癖の悪さだったりするし、ガイ・リッチーって腕力の力っていうのをそれほど信じてはいないのかも。見ている途中に、『ルパン3世』を実写化するならこんな感じがよいなあ、とか思いました。
ヘンリー・カヴィルはスーパーマンなんてやってないでこういう伊達男路線でいってほしい*3。ヘンリー・カヴィル、かつて007の候補にもあがっていたようですが、この作品で仇はとったんじゃないか。なんの仇だ。
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今年のスパイ映画祭りっぷりはなんなんでしょうか。

「コードネームU.N.C.L.E.」 オリジナル・サウンドトラック
- アーティスト: オリジナル・サウンドトラック
- 出版社/メーカー: SMJ
- 発売日: 2015/11/11
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【作品情報】
‣2015年/イギリス、アメリカ
‣監督:ガイ・リッチー
‣脚本:ライオネル・ウィグラム、ガイ・リッチー
‣出演