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魔法世界の奥行き――『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』感想

魔法への招待:『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』メイキング・ブック

   『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』を2D吹き替え版でみました。以下感想。

  我々が、ハリー・ポッターという少年の物語を知るよりはるか昔から、その世界は存在していた。我々「普通の人間」のあずかり知らぬところで存在する、異能の術を使う者たち。彼らを我々は魔法使い/魔女と呼び、彼らの世界を魔法世界と呼ぶ。1926年、アメリカ。我々の世界と重なり合いあるいは隣合いつつ存在する、アメリカの魔法世界で、魔法生物学者ニュート・スキャマンダーの活躍が描かれる。

 ハリー・ポッターシリーズにおいて、作中人物が魔法学校のなかで使用するテクストとして登場し、現実世界においても世界観を補完するサブテクストとして出版された『幻の動物とその生息地』をモチーフに、魔法世界の新しくて古い物語が展開される『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』は、そのもともとの出自、世界観の補完という枠をはるかに超え、むしろ魔法世界の外延を一気に押し広げてみせた。

 これまでのシリーズは、ハリー・ポッターという少年の運命こそが物語の中心にあり、ゆえに世界はその少年、そして彼が青年期の大半を過ごしたホグワーツ魔法学校を中心に編成されていた。しかしこの『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』において」、魔法世界はハリー・ポッターの、あるいはホグワーツの軛から解き放たれ、巨大な生命力を獲得したといっていい。アメリカという新たな土地、そして学校という場所から既に自由になった男を主人公に据えたこの試みはその点大成功としかいいようがないではないかと思う。

  そして、人間世界との接点がそれほどない、ある種隔絶された異世界としての魔法世界がホグワーツ魔法学校だったとすれば、『ファンタスティック・ビースト』の世界はマグル/ノーマジ=非魔法使いの世界と重なりあっていて、だから彼らと否応なしに接して生きているであろう魔法使いたちが描かれる。そのために魔法使いたちの多くは、現実世界の人間とぱっと見ただけでは見分けがつかないスタイルをしていて、それがまたクラシカルな魔法使い像を提示していた『ハリーポッター』シリーズと好対照で新鮮な感じ。

 そういう意味では『ファンタスティック・ビースト』はより人間世界に近づいた魔法世界を描いているわけだけど、よくよく考えるとCGで再現された1920年代の街並みはすでにして我々からしたら魔法世界とは異なった意味で「異世界」なわけで、その意味では『ハリー・ポッター』が提示した「異世界」ファンタジーの魅力は継承されているともいえる。第一次世界大戦後、そして大恐慌前の「狂騒の20年代」であると同時に、アメリカ合衆国憲法修正18条、所謂禁酒法が施行され社会が保守化した時代でもある、そういう時代の空気は様々なところに散りばめられ、その歴史的「異世界」という舞台は存分に生かされているというふうに感じられる。

 その現実世界を跳梁跋扈する魔法生物たちももちろん魅力的なのだけれど、それ以上に、この魔法世界の物語で初めて、魔法使いでない人物が大いなる役割を果たしたことが、やっぱり僕はいいなあと思っていて。完全に個人的なおしゃべりですが、僕の世代って『ハリーポッター』シリーズと並走しながら大人になっていったというか、ハリーの成長と一緒に僕らも成長していった、みたいな、なんとなく特別な思い入れがあるわけです。それで、今回その世界に魅了されて大人になった僕らのために、まさに大人が主役の物語を送り届けてくれた、ということにも滅茶苦茶な感慨がある。そういう世代的な思い入れとは別に、絶対魔法使いになれない僕らのために、魔法使いではない人物が魔法の世界のなかでちょこっと活躍する、みたいな要素を挿入してくれたのではという感じがして、そこらへんも大変うれしかったというか。血統主義的な要素が色濃い本編とは違う感覚で、これからもシリーズ続いてくれたらなあと。

 はい、とりあえずこんな感じですが、『ハリーポッター』の世界観に魅力を感じる方は是非ともご覧になったらよいと思いました。

 

関連

  ラストはつまり『君の名は。』ってことですよね!!!!!

 

 『幻の動物とその生息地』、かつてすごく熱心に読んだんですが、またちょっとぺらぺらめくりたさがあります。

幻の動物とその生息地(静山社ペガサス文庫) (ハリー・ポッター)

幻の動物とその生息地(静山社ペガサス文庫) (ハリー・ポッター)

 

 

【作品情報】

‣2016年/

‣監督:デヴィッド・イェーツ

‣脚本: J・K・ローリング

‣出演