『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』をみたので感想。
1930年代、闇の魔法使いゲラート・グリンデルバルドがおこした事件から数年後。彼は再び魔法界に陰謀をめぐらせていた。アルバス・ダンブルドアはそれに対して弟子たちを組織し対抗しようとするが、二人のあいだで結ばれた「血の盟約」が直接的な対決を阻んでいた。
『ハリー・ポッター』のスピンオフである『ファンタスティック・ビースト』シリーズの三作目は、奇想天外な魔法生物たちの活躍は後景に退き、二作目に引き続きグリンデルバルドの陰謀との対決が主題となる。グリンデルバルド役をつとめたジョニー・デップが降板してマッツ・ミケルセンが新たに演じることになったが、これは正直シリーズとしてキャラクターの連続性を完全に放棄したという感じがする。ジョニー・デップ演じるグリンデルバルドは極右のちんぴらな佇まいであったが、マッツ・ミケルセンのそれは深遠な陰謀家にみえる。そして『ダンブルドアの秘密』はその深遠な陰謀家としてのグリンデルバルドというキャラクターに依存した作劇がなされているので、もしかしたら大きく路線変更があったのかも、とも思う。
この映画ではグリンデルバルドが魔法界の重要役職に立候補するという展開をみせ、これはドナルド・トランプに象徴される近年のポピュリズムないし、1930年代のワイマール共和国を明確に意識した寓話のようにも思え、嫌われ者のドイツ人(この配役が『帰ってきたヒトラー』のオリヴァー・マスッチなのだからもう目配せがあからさまである)の手引きで犯罪者から一躍時代の寵児として表舞台に立つ展開は安易だが意図は理解できる。
とはいえ、選挙に使用されるのはグリンデルバルドが用意した動物、キリン(の死骸)であることに魔法界の誰もが疑問をさしはさまないあたり、この物語の語り手は魔法界の人間の知性を(現実世界のマグルどもに比して)極めて軽いものと見積もっているようにもみえる。このシリーズがなによりキャラクターの魅力で成り立っていることに疑いの余地はないが、とはいえもう少しきちんとした段取りでことを運んでほしかった。2時間20分超の長尺も、なんとか不必要な時間を切り詰めてなんとか収めたという感じがする(序盤のキリンの争奪戦のアクションのなんというかせわしい貧乏くささといったら!)が、ある種の政治劇を描こうと思ったら到底十分な時間がそもそも確保されていなかったのでは、という気がする。
前作で『黒い魔法使いの誕生』がポストトランプの時代にふさわしい課題設定をしたことをわたくしはなんとなく買ってはいて、この『ダンブルドアの秘密』はそれをなんとか継承しようとしたが、しかし主題はむしろ運命の男たちの闘争へとずらされて、フィクションと現実との関係という点からみると消化不良だったというのが正直なところ。お前は孤独になると予言された男が、その通り街中に姿を消していくラストシーンはまあいいんだけど、この映画に本来要請されていたのはそういう愛を喪った悲しい男の話ではなくて、想像力で分断を超えてゆく可能性を垣間見せる彼岸の魔法使いたちだったはずなんだ。
しかし、前作までで提示された謎や葛藤はほとんどこの映画で解消されたという気がするんだけど、このあとどうするんでしょ。