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映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

その嘘に強度は宿るか――『カメラを止めるな!』感想

【映画パンフレット】カメラを止めるな! ONE CUT OF THE DEAD

 『カメラを止めるな!』みました。「なんか流行っている」以上の情報を仕入れずにみたんですが、それははっきりいってめちゃくちゃ幸福だったと思います。以下感想。作品の核心に触れるネタバレが含まれていますので、鑑賞していない方の幸福度を劇的に下げます。

  手持ちカメラ風の映像。怒る監督。残された俳優とメイク係。映画を撮る彼らが、映画として我々の前に現れる。

 ワンカット風味の低予算感あるゾンビ映画。それは結構わざとらしく拙い。なんか台詞をとちったことで生まれたであろう不自然な間、明らかに不自然な挙動で画面から退場する男、異様に引き延ばされた恐怖の悲鳴。奇妙なゾンビ映画と、なぜこの映画はこんなにも拙いのか、それを我々が知る解決篇、舞台裏のお話との二部構成。この解決篇によって、我々はこの拙さを生んだ支離滅裂な背景を知り、大いに笑う。

 この二部構成が『カメラを止めるな!』のアルファにしてオメガといってよく、入れ子上のメタフィクション的な道具立てが存分に駆使され、気軽に笑えて楽しい、極めてウェルメイドな娯楽作になっている。伏線の張り方はかなり露骨なのだが、いかにも低予算ですよという感じに仕上がった画面によってその露骨さは隠蔽されているし、また記号と類型の極致ともいうべきゾンビ映画というフォーマットを提示することで、舞台裏のお話のこれまた異様なまでの記号っぽさは気にならなくなっている。こうして「誰にもわかる=笑える」娯楽作としては非常にうまくできていて、これが多くの人に届いたこともわかろうというものです。

 ただ、うまいなと思う一方で、やや喰い足りなさを感じたのも事実で、それについても書き記しておかねばならないような気がする。その喰い足りなさは、端的にいえば「うそ」と「ほんと」がこの作品世界においてあまりに画然と分かたれていることから生じている、と思う。

 劇中劇のなかで、監督は「ほんもの」に異様な拘泥をみせ、それが状況を無理やり推進させてゆく。この虚構の中でしめされる監督の格率は、劇中劇を超えて『カメラを止めるな!』全体を律している。監督の娘は「ほんもの」の涙を子役に強要し、また劇中劇における監督の異様な迫力は、それが現実における鬱憤を起爆剤にして駆動していたことを私たちは知ることになる。ここで劇中劇=嘘は、現実という基礎無しには存立不可能なものとして立ち現れているのではないか。

 たとえば、同じくゾンビ映画をモチーフに取り入れた『桐島、部活やめるってよ』を想起するならば、そこでは確かに――ほんの一瞬であれ、嘘が現実を塗り替えてしまう、そうしたバカみたいな奇跡がそこにはあった。『カメラを止めるな!』においては、劇中劇はそれ自体自足して完結しているようにみえて、その実「舞台裏=現実」の出来事を私たちが知らないならば、それは単に拙いだけの映画に過ぎない。その意味で、やはり、『カメラを止めるな!』においては、劇中劇/舞台裏という二重構造を用意したがゆえに、嘘は嘘として自立できなくなってしまっている。

 むろん、これによしあしはない。嘘は嘘でしかない。その通り。嘘が現実を基盤にして何が悪い。その通り。しかし、嘘に強烈な力を持たせ、その可能性を垣間見させてくれるフィクションを、僕は求めるのだ。そうした嘘が現実の世界をほんのわずかでも変えるのかもしれないと思うから。あなたは信じますか。フィクションの嘘の力を。

 

 

Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

 

 関連

  嘘の可能性をみせてくれたのは、僕にとって2016年公開の作品群なのですよね。

amberfeb.hatenablog.com

 

 

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【作品情報】

‣2017年/日本

‣監督:上田慎一郎

‣脚本:上田慎一郎

‣出演

日暮隆之 - 濱津隆之
日暮真央 - 真魚(幼少期 - 左右田陽菜)
日暮晴美 - しゅはまはるみ
松本逢花 - 秋山ゆずき
神谷和明 - 長屋和彰
細田学 - 細井学
山ノ内洋 - 市原洋
​山越俊助 - 山﨑俊太郎
古沢真一郎 - 大沢真一郎
笹原芳子 - 竹原芳子
吉野美紀 - 吉田美紀
​栗原綾奈 - 合田純奈
松浦早希 - 浅森咲希奈
谷口智和 - 山口友和
藤丸拓哉 - 藤村拓矢
黒岡大吾 - イワゴウサトシ
相田舞 - 高橋恭子
温水栞 - 生見司織