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あるいは私は壊れた玩具―—小林泰三『玩具修理者』感想

玩具修理者 (角川ホラー文庫)

 2020年に物故した小林泰三という作家の作品をいままでまったく読まずにいたのだけど、何の気なしに手に取りました。

 デビュー作である『玩具修理者』には、女が幼少期に出会った不可思議な存在、「玩具修理者」について語る表題作と、夜更けのバーで自身の親友を名乗る見知らぬ男が奇妙な来歴を語る「酔歩する男」の二編を所収。すえた路地裏のにおいがただよう「玩具修理者」は幻想的なホラーの色彩が強く、一方で「酔歩する男」はある種のタイムリープをモチーフにしたサイエンスフィクション風味。

 それぞれ趣向は違えど、語りの構造とそれがもたらす驚きは相似形で、それをとても興味深くおもった。端的にいえば、この二編の基底にあるのは、「私はすでに(私のあずかり知らぬ過去の出来事によって)壊れているかもしれない」という恐怖なのだ。

 どちらも、語り手が対面している誰か(姉、見知らぬ男)から奇妙な話を聞かされる、という枠物語的な構造になっている。「酔歩する男」のほうがやや長いので、見知らぬ男の語りが肥大してややバランスを欠くきらいはあるが、時間の連続性の破壊がもたらす混乱ぶりなどは長編でも成立しうるアイデアではないかという気がして、おもしろく読んだ。

 この語りは、最初のうちはそれを聞いている「私」とは切り離された奇妙な話にすぎないものとして受容される。夕暮れ時に「玩具修理者」の家でおこるグロテスクでおぞましい「修理」の様子も、恋人を失って狂気に駆られた男たちの物語も、はじめはあくまで他人ごとにすぎないのだ。

 しかし、「玩具修理者」では「私」がまさに「修理」された存在だったと結部で明らかにされ、「酔歩する男」では「私」の連続性があやふやなものとなり幕を閉じる。本書には「玩具修理者」がさきに置かれていることもあって、「酔歩する男」の大オチ(「私」の妻の存在)が予測できてしまうし、オチの鋭さは(やや「ずる」をされているという感じはあるけど)「玩具修理者」のほうが鮮烈というのはあるんだけど、それでも十二分におもしろい。語りをきいている「私」同様、このわたしもすでに決定的に毀損されているかもしれない...という仄暗い妄想があたまにこべりつく、よい小説でした。