宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

救世主神話の構築と解体────『デューン 砂の惑星 PART2』感想

ポスター/スチール写真/チラシ A4 パターン9 デューン砂の惑星 PART2 光沢プリント (※こちらの商品にはアクリルフォトスタンドは付いておりません。)

 『デューン 砂の惑星 PART2』をみました。これは映画館でみることができてほんとよかった!以下感想。

 宇宙に支配の網を広げる帝国が存在する時代、神秘的な力を秘める香料(スパイス)の唯一の産地である砂の惑星デューン。父や側近たちを殺害され、母親と砂漠に逃げ延びたアトレイデス家の御曹司、ポール。砂漠の民、フレメンたちの助けを得、また勇敢な振る舞いで彼らの信頼も勝ち得て、父を破滅に追いやったハルコンネン家への復讐を開始する。フレメンの少女、チャニと親密になり、またゲリラ戦も着実にハルコンネン家の勢力を削ってはいたが、一方で母親の属する神秘主義教団ベネ・ゲセリットは暗躍し、また、狂気を秘めたハルコンネン家の後継者も砂の惑星に降り立とうとしていた。

 現代の巨匠、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による『デューン』映画化2作目。PART1はプロローグ的な色合いが強く、画面や音響は極めてリッチだったが、鑑賞後にそれほど満足感を得られる映画ではなかった。それはわたくしがヴィルヌーヴ監督のフィルムに期待していることと、このプロジェクトのねらいとがややすれ違っていたことも大きかったかもしれないが…。

 わたくしの期待については下の記事で書いた。

amberfeb.hatenablog.com

 しかしPART2ですから、ある程度は作り手のつくりてのねらいみたいなものは既に腑に落ちていたというのもあると思いますが、このPART2は大層楽しむことができました。PART1はIMAXでみること叶わず、このPART2ではIMAXの大スクリーンに足を運べたのも大きいかもしれない。PART1で世界観はしっかりと共有され、状況説明は終わり、そして若きプリンスもどん底まで叩き落されたので、あとはこの復讐劇がいかに成就するかを見守るだけというか、いかにPART1が適切におぜん立てを整えていたかを改めて感じた次第(それにしてももっとサービスしてくれてもよかったと思うけど!)。

 冒頭、息をひそめて砂丘の物陰に体をひそめ、ハルコンネン家の兵隊たちを待ち伏せるシークエンスからもう、極めて贅沢な時間が流れる。重装備を着込んだハルコンネン家の兵が、すーっと浮遊して断崖の上に移動するシークエンスだけで快が生じる。PART1と比べると戦闘シークエンスも随所に挿入されて適度に刺激されるし、ところどころの省略も洒落ている。いきなり貯蔵施設が爆破されるところなんかはちょっとおもしろみすらある。無辺の砂漠の広大さも、時に地鳴りのような重低音が身体を震わす大音響も、まさに劇場という空間で味わうべきものであった。

 ドラマの面でも、PART1の時点では『スター・ウォーズ』的なスペースオペラ貴種流離譚が特にひねりなく語られるのではと思っていたのだけど、そうした安易な予想を裏切る仕掛けになっていて感心しました。悲劇のプリンス、ポールの復讐劇に感情移入させたかと思えば、そのポールが神秘主義的・カルト的な母親の重力圏に接近していくにしたがって、ある種の危うさ・妖しさをまとうようになり、それを危惧し反発する恋人のチャニのほうにこちらの心情が寄っていくようになる、この感情移入の重心移動が実に巧妙。ポールが救世主として立ち現れていくに従い大事な何かを決定的に毀損していく予感を漂わせるドラマは『ゴッドファーザーPart2』風味だが、むしろそれを醒めた目線で眺めるチャニに寄り添い、ラストカットはまったく別の道を歩むことを決意するかのごとき、力強い彼女のまなざしを映して終わることで、このすべてを得る代償にすべてを失う普遍的なドラマに、なにか別のパワーを宿しえたような気がする。

 その意味で、普遍的な神話の再生・再話という仕事を全うしつつ、それを批判的にながめるオルタナティブなまなざしを挿入することで、まさにいま・ここで語られるに値する、見事な作品になったのではと感じました。

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』であやしい魅力を振りまいていたオースティン・バトラーが、サイコ御曹司を好演していてよかった!ですね。

amberfeb.hatenablog.com