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非キャラクター小説としての探偵小説────松本清張『点と線』感想

点と線

 松本清張『点と線』、もはや古典だし大筋は知っているし、「読んだ」風を装ってたのですが、読んでませんでした。えへへ。でもいま読んだので感想。

 料亭の女中二人を自身の見送りに東京駅まで連れてきた男。そのとき、別のプラットフォームから、男と連れ立って旅行に行く様子の別の女中をみかける。その後、その女中が福岡の海岸で情死体となって発見される...。

 松本清張の長編推理小説第1作にして代表作。1957年から連載され、翌年書籍化。およそ70年前の小説だが、いま読んでもきちんとおもしろい!それは一つに1950年代のディテールが書き込まれていることもあるが、「不可能犯罪」をコツコツとアリバイを崩して破る、という本筋がきちんとしていることにもよるだろう。そのアリバイ崩しはややちんたらしていると感じられることもあるし、刑事たちがときにわざと見落としているんじゃないかと思うこともあるのだが...(特にそれを感じたのは飛行機移動の可能性が途中まで言及されないこと。わたくしは当時は国内線の便がなかったのか?と思って読み進めていたら結局犯人は飛行機移動していてびっくりした。それと偽名でチケットとって口裏あわせてくれるやつが簡単にポップアップしすぎ!でしょ!)。時代性といえば、長距離移動の手段として基本的に夜行列車が想定されているのは隔世の感ですな、実際に時は隔たっているのだが…。

 この『点と線』の刑事はのちに『時間の習俗』で再登場するようなのだが、しかしキャラクター小説としてはめちゃくちゃ弱い点が興味深く感じた。刑事たちにはほとんどその人となりを感じさせる描写がなく、刑事という記号くらいの位置づけしかないように感じて、それはある種の古典的な探偵小説とは一線を画す。

 推理小説のメルクマールたるシャーロック・ホームズものって、いくらでもそのキャラクターを流用して二次創作が可能という意味で極めてキャラクター小説的だと思うんです。近年の森美登美彦の仕事が記憶に新しいところですが、無数のパスティーシュが存在し、それがシャーロック・ホームズものの魅力の一端を示している。ポワロだってクイーンだって、キャラクターの魅力で読ませるようなところがあるじゃないですか。

 一方でこの『点と線』も、あるいは(ほかの松本清張作品でわたくしが既読の)『砂の器』も全然キャラクター小説的ではない。非キャラクター小説として推理小説を書こうとすると松本的な社会派にいくか、ロジックのおもしろさで勝負する(新)本格にいくか...ということなんでしょうか。新本格でもキャラクター小説としての魅力を備えた法月綸太郎ものは骨格が強靭ですね、いまさらながら...。

 

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