宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

SF的、ギャルゲー的────『僕が愛したすべての君へ』感想

僕が愛したすべての君へ

 『僕が愛したすべての君へ』をみたので感想。

 並行世界の存在が認知され、その観測や介入を研究する学問、「虚質科学」が誕生しようとしていた。「虚質科学」の研究者を父にもつ少年、暦は、両親の離婚に際して、父についていくか、母についていくか、選択をせまられる。母を選んだ暦は、高校で出会った少女、瀧川和音に恋をする。やがて二人は結婚し、子どもをもうけるのだが、並行世界にかかわる不穏な事態が巻き起ころうとしていた。

 乙野四方字による小説のアニメ映画化。同作者による世界観を共有した作品である『君を愛したひとりの僕へ』と同時に劇場公開され、見る順番によって「結末が変わる」ことを謳い文句にしていた。とはいえ、予告編の印象では画面は劇場アニメーションのクオリティとしては十分とは感じられず、阿漕な商売っ気も感じたので劇場に足を運んだりはしなかったが、いつの間にかプライムビデオで配信されていたので、ひとまずこちらから鑑賞することとした。

 『僕が愛したすべての君へ』と『君を愛したひとりの僕へ』では脚本のキャラクター原案のクレジットは共通だが、アニメーション制作や監督、キャラクターデザインは両作で異なっていて、監督は『川越ボーイズ・シング』の松本淳、アニメーション制作はタツノコプロ系のBAKKEN RECORD。画面のクオリティは、たとえば同じ年に公開されたSFラブストーリーである『夏へのトンネル、さよならの出口』が静謐で風格あるビジュアルだったこととくらべると、平板で魅力に欠ける。並行世界を意識してか、鏡などを印象的に用いた演出はおもしろくみたが、予告編の印象通り、劇場アニメーションとしてはやや弱いと感じる。

 パラレルワールドをめぐるSF設定の開示の仕方も芸がなく、単に会話しているキャラクターを映しているだけなので、映像芸術なのだからもうすこしビジュアル面でのサービスがあってもよいと思うし、そもそも情報の出し入れの仕方もつたない。

 そうした作品としての瑕疵を、ヒロインの瀧川和音のエキセントリックな魅力でなんとかカバーしている感じもあり、瀧川を映すためのアイドル映画のような気もしてくる。物語全体の仕掛けからも、どうもこの『僕が愛した~』は『君を愛した~』に奉仕するサブプロットのような気配も漂い、なんというか作品世界全体がギャルゲーっぽい感触なんですね。その場合、おそらくなんだけど『君を愛した~』のほうがトゥルールートで、この『僕が愛した~』のほうが個別ヒロインルートになる。個別ヒロインルートでの行動がトゥルールートに活きるような構成に、おそらくなっているんじゃないか…というのがこちらだけみたいまの時点での感想です。

 作劇でおもしろかったのは、主人公が並行世界に介入するのではなく、むしろ介入されることでドラマが生じる点。自身の子どもを喪ってしまって、取り戻すために介入を試みる…というのはいかにも定番のプロットだが、この作品では喪失の悲劇が回避されたことで、主人公の世界が介入される対象、いわば理想のルートになっている。そうしたずらしに意外性を感じたんだけど、このレベルのずらしってまさにギャルゲーの個別ヒロインルート的な手触り…じゃないっすか?