『君を愛したひとりの僕へ』をみたので感想。
並行世界の存在が認知され、その観測や介入を研究する学問、「虚質科学」が誕生しようとしていた。「虚質科学」の研究者を父にもつ少年、暦は、両親の離婚に際して、父についていくか、母についていくか、選択をせまられる。父を選んだ暦は、同じく虚質科学研究者の子である少女、佐藤栞と親密になるが、親同士の再婚で、二人はきょうだいになってしまう。それを否定するため、両親が離婚しない並行世界を探求しようとするのだが…。
『僕が愛したすべての君へ』の姉妹作。監督やアニメーション制作は同作と異なっていて、こちらは『ハチミツとクローバー』や『あまんちゅ』のカサヰケンイチが監督、アニメーション制作は『名探偵コナン』などのトムス・エンタテインメント。制作会社やキャラクターデザインが異なるわりには両作品の画面の印象は似通っていて、どのような制作工程を経ているのか不思議に思った。あまりリッチでない画面、SF設定の開示のつたなさなど、瑕疵も共通。それについては『僕が~』の感想で記したとおり。
見る順番によって「結末が変わる」という謳い文句を確かめるために鑑賞したが、相互に補完しあい異なるメッセージ性をもってはいるが、二つの作品を鑑賞しなければわからない大きな仕掛けや、見た順番で作品の価値や印象が大きく変わる、ということは正直なくて、はっきりいって誇大広告だと思う。こちらをみて驚いたのが、どちらも別作品のあらましを簡潔に示すシークエンスが挿入されていて、片方をみるともう一方のあらすじもなんとなくわかってしまうような仕掛けになっているのね。これはどちらの作品もみてほしいとプロモーションされている映画としては、はっきりって誠実性に欠けると思う。
もともと原作が2冊に分かれているものを2本の映画にしているが、ここで求められるのはそうした愚直な素直さではなく、アダプテーションにあたって二つの相互にかかわりあうお話を一本の映画にまとめる工夫だったんじゃない?とわたくしなどは思ってしまうのだ。現状、白ワンピースのヒロインか、眼鏡でエキセントリックなヒロインか、どちらか惹かれるほうを鑑賞すればもう一方を鑑賞する意味はかなり薄いと感じる。
わたくし個人としては、どちらかといえば『僕が~』のほうが好み。『君を~』のほうは、なんで研究所の重要そうな装置に小学生がすーっと入り込んでいじれるようになっとるねん!ザルすぎるだろ!というのがとてもひっかかり(これ原作だとどういう処理をしているんだろ)、まじめに鑑賞する意欲が大いにそがれたというのが大きい。あと『僕が~』をみたあとだと、『君を~』の少年がかなり活発で驚いたというのもあった。
お話としては、こちらの「幽霊の少女」を救済するほうがトゥルールートっぽい印象だが、別にトゥルールートのほうが出来が良いというわけではない(むしろダイジェストのほうが前述のツッコミどころをスルー出来てよかったかも)。いずれにしても、研究所の戸締りはしっかりすべきでしょう。