『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』をみたので感想。
キャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースから、その象徴ともいえる盾を託された男、サム・ウィルソンは、新たなキャプテン・アメリカとして悪と戦っていた。そんな折、かつてハルク・ハンターとして名を馳せ、ヒーローたちとも対立してきた軍人あがりの男、サディアス・サンダーボルト・ロスがアメリカ合衆国大統領に就任し、サムにアベンジャーズ再建を持ちかけるのだが、重要な条約締結にかかわる会合で暗殺未遂事件が発生。その裏にあるロスのうしろぐらい過去が、世界を聴きに導こうとしていた。
マーベル・シネマティック・ユニバースの第34作目。新たなキャプテン・アメリカとしてのサム・ウィルソンがスクリーンに登場し、新たな戦いが幕を開ける。かつて故ジョン・ハートが演じていたサンダーボルト・ロスはなんとハリソン・フォードが引き継ぎ、老いた大統領を熱演。ハリソン・フォードが大統領演じるの、1997年の『エアフォース・ワン』以来?
あのキャプテン・アメリカを継ぐ、というのは、劇中のサム・ウィルソンにとって大いなる重荷であったわけだが、その重圧はこの映画そのものにもかかっているという気がする。『ウィンター・ソルジャー』はアクションの水準で、『シビルウォー』はドラマの水準で、それぞれマーベル・シネマティック・ユニバースにおける画期ともいえる、シリーズ全体を大いに活気づけた作品であったから。
また、アメリカの象徴たるキャラクター演じるアンソニー・マッキーのプレッシャーも並々ならぬものがあろうと思料するが、そうしたがなんとなくこの映画を応援したい気持ちにさせる。
その期待はアクションの領域では十分果たされていて、ファルコンの猛スピードの飛翔や、ヴィブラニウムの翼やドローンを使った戦闘は、スティーブ・ロジャースのそれとうまく差別化しつつ、見せ場をつくれていたと思う。キャプテン・アメリカとアイアンマンのハイブリッド(足してきちんと2で割った感じ)的な調子もあり。
それでいて、スティーブと比べたら肉弾戦闘では当然劣る、というのもうまく提示していて、だからこそ、クライマックスのレッドハルクとの戦いは絶望感がよくでていた。なにせ、かつてはアイアンマンの重装備でなんとか制圧できた相手と、軽装で、超人的な身体能力をもつわけでもない男が対峙するわけですから。このあたり、ハルクのジャンプのおそるべき飛躍っぷりなんかで、ハルクの異常な強さもうまく提示していたと思う。
一方で、お話のほうは、予告編ですでに明らかになっている、ハルクと化して暴れるハリソン・フォード!以上のサプライズがなかったのがやや肩透かし。
また、日本に関する描写に違和感があり、それが見ている途中小骨のようなひっかかりを感じさせたのも事実。インド洋の資源をめぐる抗争で米中対立…みたいなことはセンシティブすぎてできないがゆえに、日米対立という構図にしたのだろうが、日本列島に住む人間としてめっちゃ違和感ある。まあ別にそれが大きな瑕疵とも思わないが、アメリカの人の日本に対するイメージってこんななの?とは思った。
しかし、トランプ再選のせいで、「大統領が好き勝手やった末、改心して終わる」というこの『ブレイブ・ニュー・ワールド』の筋書きに奇妙な文脈が生じたのはおもしろい。過ちを犯したとしてもやり直せる、というのは作中で何度も強調されるが、それが現実の大統領が「まとも」になるかもしれないのだから希望を捨ててはならないというメッセージのようにも響く。アメリカを背負うという困難、それがにじむような映画だった、かもしれない。
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