『劇場版モノノ怪 火鼠』をみたので感想。
江戸時代らしき時代、天子にかしずく女たちの園、大奥。先般のもののけ騒ぎで年寄りが交代し、ただならぬ雰囲気がいまだ漂う。天子の子の後見をめぐって、女たちを立てて各家の暗闘が繰り広げられるなか、天子の寵愛を一身に受けるフキに懐妊の兆しが。決して名家とはいえない家柄のフキが世継ぎを生むかもしれないことをねたみ、恐れたものたちが陰謀をめぐらすとき、大奥に根付いた過去の情念が燃え上がる。
2006年に放映された『怪 〜ayakashi〜』、およびその翌年放映された『モノノ怪』の劇場版3部作の第2作目は、前作に引き続き大奥を舞台とし、薬売りと怪異との対決を描く。これまで監督を務めてきた中村健治は総監督としてクレジットされ、監督を務めるのは『ガッチャマンクラウズインサイト』で助監督を担った鈴木清崇。脚本はライトノベル作家の新八角。
和紙の上に描画したような撮影効果、多くの時代劇のようなリアリティ感覚から遊離した激しい色使いで描かれる美術等々、テレビシリーズから継承し、それをスケールアップさせたかのような画面は『唐傘』同様。大奥のなかをさながら魚群のように飛び回る怪異「火鼠」は印象深く、そして何より、クライマックス、突如地下世界に現れた異様なスケールの異空間を舞台に八面六臂の活躍をみせる薬売りのアクションは見ごたえがあり、劇場のスクリーンに映えるすばらしい出来。
一方で、2作目ということで観客であるわれわれの目が慣れたからか、閉ざされた女の園である大奥のおどろおどろしさは後退。前作で印象的だった、狂気と焦燥を感じさせるクロスカッティングもこの2作目ではあまり使われておらず、カット割りと演出の外連味は前作ほど鮮烈ではなかったが、それで映画全体の印象が落ち着いたものになっていると感じられた。
女中が懐妊したことで生じた「命」を新たなる諍いの「火種」ととらえる権力者どもと、それでも子を守ろうとする母親、という構図はストレート。20年前、老中の意図を忖度し、身ごもった子どもを中絶せねばならなかった女中の悲劇が言及され、その女の身を焼くほどの悲しみを受け取った女が、権力者に望まれぬ自身の子を守ろうとするという筋立てはコレクトで、感情移入を誘うものだとも思う。
一方で、権力者(とその意を受けて動く女)が悪く、子を守ろうと連帯する女たちは善い、という構図が一貫していて、悪者然としたものが結局のところ悪者で、それが揺らがないので、ミステリとしては平板で驚きに欠ける。いうまでもなく、テレビシリーズは犯罪の発露を「もののけ」に託し、探偵役を超常の力をもつ薬売りが担う、ミステリの構造をもっていた。そのお約束の構造があるがゆえに、横手美智子や小中千昭ら優れた脚本家が、その個性を活かして、かつ統一感のあるシリーズとして成立していたように思う。
前作『唐傘』もそうだったが、この『火鼠』もこの作品のもつミステリの構造にあまり頓着しているように思われなくて、それが劇場版の挿話の平板さ、単調さを招いているという気がしてならない。テレビシリーズの薬売りは明らかに探偵だったのだが、この劇場版では単に事態に対応する警察官のように思えてならないのだ。
それでも、このシリーズにユニークな魅力があることに疑いはなく、第3作の『蛇神』が優れた作品になることを、いまから祈っています。
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前作では悠木碧と黒沢ともよの2枚看板でしたが、今作は戸松遥と日笠陽子の対決といった趣。次回はどうなるんでしょうね。