廣田龍平『ネット怪談の民俗学』を読んだので感想。
本書は、1990年代末から2020年代前半ごろまで、日本のインターネット空間に流通した怪談について、おおまかな全体像・見取り図を示そうと試みたもの。本書でも取り扱われているが、2ちゃんねるオカルト板発の怪談「きさらぎ駅」が実写映画化されたり、また都市伝説に着想を得たであろうゲーム『8番出口』、そして形式的にも内容的にもインターネットホラーの空気を存分に吸った『近畿地方のある場所について』のヒット、実写映画化と、まさに「ネット怪談」から生じた果実が一斉に収穫されている感もある現在、まさに時宜を得た出版であるように感じる。
本書が特に注目するのが「実況」、「画像」、「異世界」という三つの視角で、膨大な量にのぼるネット怪談を手際よく整理しながらその変遷をたどっていく。「くねくね」や「コトリバコ」などなど、2ちゃんねるやまとめサイトを通じて広く知られる怪談はほとんど網羅的と言っていいレベルで取り扱われていて、また同時代の現象として海外のネットホラー・怪談もたびたび言及されるなど、情報量が多くてうれしくなる本である。
わたくし個人は、まだ高校生だったころに2ちゃんに入り浸ってオカルト板ものぞいていたりしたのだが、そうした個人的な思い出が大きな歴史叙述のなかに収まっていくような感覚があり、そこに大きなおもしろみを感じた。SNSで固有名と紐づいたアカウント同士で交流するいまのインターネットは、匿名の有象無象がその場その場でアドホックなやりとりをする匿名掲示板が中心だったそれと比べて、ずいぶん透明になったという気がする。それがよいことなのかはわからないし、むしろ息苦しくなっている(これはインターネットというか社会のありかたのせいかもだが)ようにも感じられるのだが…。
閑話休題。本書を読んで確かになと感じたのは、「コトリバコ」など、都市部ではない場所への恐怖を喚起するいわゆる因習系の怪談は2000年代後半に盛り上がったが、10年代に入ってからは広く知られるような新作は生まれなくなっているということで、本書が示唆する「因習系から異世界系へ」という流行の大きな流れは個人的な実感と重なるところでもある。
一方で、本書執筆時にも「赤い封筒」のような「田舎のやばい風習」が話題になったことが触れられているように、「田舎のやばさ」がネットの話題として消費されるような風土はまだ残っているという気がして、それがたとえばツイッターで日々とりとめのない雑談として流れていっているという気がする。
たとえば高橋ユキによるルポルタージュ『つけ火の村』を読んだとき、わたくしは率直に嫌悪感を感じたのだが、それは今思えば、本書が指摘するような「田舎」を他者化して貶める想像力と結託しているからではないかという気がしている。
かつてネット怪談に人を惹きつけていた想像力が、ネット怪談という機会を失ったことで、その暴力性がときたま現実の他者に向かっていくような回路が築かれているのでは、みたいなことをぼんやり思ったのだった。