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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

2014年9月に読んだ本

読書 近況

 Time flies like an arrow. 光陰矢のごとし、ということを実感しない月など今年に入ってから全くないわけですが、今月は特にあっという間に過ぎてしまったというか。恐怖を感じます。いよいよ2014年も残すところ、泣いても笑ってもあと3カ月。せめて悔いなく今年を終えたいです、はい。

先月のはこちら。

2014年8月に読んだ本 - 宇宙、日本、練馬

 印象に残った本

漱石と三人の読者 (講談社現代新書)

漱石と三人の読者 (講談社現代新書)

 

  ぱっと思い浮かんだのはこれ。石原さんの本は受験関連の新書とかしか読んだことがなくて。漱石研究がご専門と知ってはいたんですが、それ以外の本しか読んでないのは失礼じゃないかという使命感から読み始めてみたんですが、これが面白かった。石原さんの伝家の宝刀テキスト論っぽい読解ではなかったんですが、十二分に漱石の魅力がわかった気になりました。

 若林幹夫『漱石のリアル』なんかもめちゃくちゃ面白かったです。というか「故郷と東京の問題系」をひとつの軸に読解しているような感じなので自分の関心にダイレクトだった。まだ読了してないんですけどね、はい。

漱石のリアル―測量としての文学

漱石のリアル―測量としての文学

 

 

 あと青山景『ストロボライト』がめちゃくちゃ刺さった。漫画なんで読書メーターさんには登録してないんですけれども。


「語る」ことで、「過去の自分」を救える―青山景『ストロボライト』感想 - 宇宙、日本、練馬

読んだ本のまとめ

2014年9月の読書メーター
読んだ本の数:20冊
読んだページ数:5713ページ

 

日輪の遺産 (講談社文庫)

日輪の遺産 (講談社文庫)

 

 ■日輪の遺産 (講談社文庫)

 マッカーサーから奪った金塊を巡る、過去と現代が交錯するサスペンス。そんなものを期待して読んだのだけれど、サスペンスなどは結局話を進めるためのフックでしかなくて、人生に迷う男性二人を通して、今を生きる人間が避けようもなく、それと気付きもしないまま受け継いでいる遺産を白日の下に晒そうとした物語だったんじゃないか。しかし、作中の金塊がそうであったように、それは衆目に晒されることのない、晒されてはならない宿命を背負っているのかもしれない。しかし直接目には見えずとも、思いを馳せることはできる。そんなことを思った。

関連

浅田次郎『日輪の遺産』感想 「遺産」は血に塗れている - 宇宙、日本、練馬

読了日:9月1日 著者:浅田次郎

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40819778

 

あいまいな日本の私 (岩波新書)

あいまいな日本の私 (岩波新書)

 

 ■あいまいな日本の私 (岩波新書)

 ノーベル文学賞受賞前後の講演を集めたもの。日本と文学、というのが様々な講演をつらぬく大きなモチーフとしてあるような気がする。そのなかで何度も語られる息子光のエピソードから、子どもが障害をもって生まれたことが大江にとっていかに大きな体験であったのかがわかる。特に印象に残ったのは、井伏鱒二を語ることを通じて、広島、長崎という経験を、どのように語り継いでゆけばよいのか、ということを述べた部分。現実を忘れることなく、しかしエモーショナルに働きかけるでもなく、事実を語ること。祈りや日本人論なんかのトピックなんかも心に残っている。
読了日:9月2日 著者:大江健三郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40844662

 

ソクラテスの口説き方

ソクラテスの口説き方

 

 ■ソクラテスの口説き方

 寝る前にダラダラ読んでいた。よくもまあここまで頭の中を右から左にすーっとすり抜けていくような文章が書けるもんだと感心しきり。基本的に悪口、自虐なのにもかかわらず読んでいて不快な気分にならないのは、悪口のなかにも親しみがこもっているというか、親密な人間への罵倒であるという前提があるからか。大学教授という学歴社会のある種の頂点にいる人間の書く文章とは思えないほど洒脱というか、崩れた印象があるのが謎。何かを得ようと思って読んだわけではないが、思っていた以上に何も得るものがなかったのは流石というべきか。
読了日:9月3日 著者:土屋賢二
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40868290

 

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

 

 ■「世間」とは何か (講談社現代新書)

 万葉集徒然草井原西鶴から夏目漱石永井荷風という長大なスパンでもって、「世間」という言葉の意味変容、世間がそれぞれの時代の人々にとっていかなる存在だったのかを論じる。前半はあんまり引き込まれなかったが、井原西鶴を大きく取り上げる江戸以降の話になると面白く読めた。世間のアウトサイダーたちに目を向けた西鶴、自身と世間との距離を意識せざるを得なかった漱石、西欧の経験を経て日本の世間のあり様に違和を覚えた荷風、光晴…。各論は面白く読めたのだが、結局世間とは誰しも関わらざるを得ない関係性、ぐらいの理解しかない。

読了日:9月4日 著者:阿部謹也
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40889951

 

TV 魔法のメディア (ちくま新書)

TV 魔法のメディア (ちくま新書)

 

 ■TV 魔法のメディア (ちくま新書)

 テレビの歴史と、それを巡る思想を、テレビバッシングの議論などを取り上げながら追う。ベンヤミンアドルノらの議論を追って、西欧の思想家のテレビに対する両面的な評価を追った後に、日本における反テレビ論の流れを提示。もはやテレビというメディアそのものへの批判はそれほど為されなくなった(ように思われる)今日においては、テレビに対する徹底的な拒絶の態度は結構新鮮に感じた。著者はテレビの否定的な側面も踏まえつつも、それがあらゆるものを等価値とし、絶対的な権威を否定する、ある種の民主化機能も持つことを評価してもいる。とはいえ、それが中央に管理された時には一部の人間による情報の統制が可能となることを示唆してもいる。また、後半の湾岸戦争と現実性の脱臭の話は印象的だった。

読了日:9月4日 著者:桜井哲夫
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40908100

 

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

 

 ■メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

 2004年から2005年にかけての時評を集めたもの。小泉の郵政選挙ホリエモンなど懐かしさを感じる話題に対しての、メディア史、メディア論を専門とする著者の視角から論じる。縦横に関連する研究を引用して社会事象を語る手際はまさしく博覧強記。「歴史学者」がどう社会をみているのか、という点に興味を惹かれて読んだのだが、いい意味であまり歴史学者っぽい語り口ではないと感じた。メディアを専門的に取り扱っている所以か。情報や輿論、終戦の記憶に関する議論など、著者の問題関心は改めて面白いと思った。『スミス都へ行く』はこの本のなかで触れられていたので見た。

 中古で買ったんですが、この本のなかにめっちゃかわいい落書きがしてあってそれが思い出深いです。本の内容には全く関係ないです、はい。

関連


『スミス都へ行く』 ジェファソン・スミスは民主主義の擁護者か、破壊者か - 宇宙、日本、練馬

読了日:9月7日 著者:佐藤卓己
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40968756

 

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

 ■死者の奢り・飼育(新潮文庫)

 収められている短編のいずれも、特殊な事情を抱えた人間と、そうでない「正常な人間」との決定的な断絶、埋めようのない溝が主題となっているように感じた。そうした溝、他者の他者性が露わになる瞬間の衝撃をグロテスクなまでに切り取っていて、それがおぞましさを感じさせると同時に快感を喚起しもする。正常とそうでない人間を分ける属性として、被害者であるか否か、健常者であるか否かなどが取り上げられているように思うが、「死者の奢り」の死者との距離の近さによって生きる人間とのコミュニケーションが阻害されるというのが特に印象的。
読了日:9月9日 著者:大江健三郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41032143

 

言葉とは何か (ちくま学芸文庫)

言葉とは何か (ちくま学芸文庫)

 

 ■言葉とは何か (ちくま学芸文庫)

 ソシュール言語学を中心とした概説。ソシュール以前の言語学がざっくり整理されているので、ソシュールインパクトが分かり易くてよい。「言葉は事物の名称を表すものでない」というのがソシュールとそれを批判的に継承した丸山のスタンスを明快に表しており、本書の内容もそれに尽きると感じる。そのことをフランス語と日本語の比較という具体例を引きながら説明しており、「言語と意味の関係は恣意的である」といった誤解しがちな命題についても、詳細かつ明快に論じていたのでわかった気になった。巻末の索引や術語解説も便利な感じ。
読了日:9月11日 著者:丸山圭三郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41083022

 

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)
 

 ■東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

 東京という固有の場所を足がかりに、郊外や格差、ナショナリズムなどの問題について論じる。渋谷やら青葉台という具体的な場所から出発しているものの、そこから抽象的、思弁的な論点へと降りていくような構成になっている。扱う論点は多岐にわたるが、二人の論者に共通する全体の認識としては、都市としての東京は全体として郊外化して家賃の傾斜しかない状況となり、職能や趣味の街が点在するに留まるような画一化が進行するのでは、という感じか。巻末に地名の索引が載ってよい。

 様々な論点が触れられているので、読み返すたびに自分の興味関心に応じた新しい発見がありそうだと感じた。今回特に印象的だったのは郊外化と格差の不可視化をめぐる議論。郊外的なライフスタイルは見かけ上の格差は隠蔽するだろうが、しかし一方で格差の拡大が進行してもいる。このような状況の中でどう生きるのか、というのは大きな課題なんじゃねーかなんてことを思った。
読了日:9月12日 著者:東浩紀,北田暁大
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41096942

 

都市の政治学 (岩波新書 新赤版 (366))

都市の政治学 (岩波新書 新赤版 (366))

 

 ■都市の政治学 (岩波新書 新赤版 (366))

 都市に関する、エッセイ調の論考。都市の風景やら商業、テーマパークなどの具体的な現象への考察からはじまり、その歴史的位相(首都としての都市からユートピア、そして現代の都市へ)を確認したのち、都市の世界化、世界の都市化というより抽象的な次元の議論へと繋がる。都市を廃墟にするような力がしかし都市を生みだしもする、というようなビジョンは何と無く印象に残っているが、正直、それぞれの事象への考察の関連性、著者の述べたいことを掴み切れていないと感じる。要再読。
読了日:9月13日 著者:多木浩二
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41119265

 

マンガは哲学する (岩波現代文庫)

マンガは哲学する (岩波現代文庫)

 

 ■マンガは哲学する (岩波現代文庫)

 マンガをダシにして、永井哲学を語る。永井にとって根本的な問題である「私とは何か」という問いをひとつの軸に、多くのマンガが議論の俎上に挙げられ、単純に読んでいて面白かった。著作の中で否定されていることだけれども、マンガ評論のアンソロジー的な楽しみ方は全然可能な本だとは思う。著者が作品からどんな哲学的な問題を引き出すのか、その手際はやはり独特かつ面白い。この著作が永井にとってひとつのターニングポイントであると自認しているが、そのこともまた印象的。

 特に印象的だったのは、死をめぐる一連の考察。「死ぬということを、この世的な意味の次元に引きもどして考えるなら、だれかの夢の世界に入ることと考えるのがいちばん美しく、またいちばんふさわしい。」わかるようなわからんような。永井風の言い方をするならわかる、なんてことはないのかもしれないけど。著者によると私、夢、時間、そして存在論?が本書の永井哲学にとっての核心であるらしいので、僕はあんまり永井哲学の水は合わないのかも。

哲学は、他にだれもその存在を感知しない新たな問題をひとりで感知し、だれも知らない対立の一方の側にひとりで立ってひとりで闘うことだからである(この闘いの過程や結果は世の中の多くの人々からは世の中ですでに存在している問題に対する答えの一種と誤解されてしまうのではあるが)。
永井均『マンガは哲学する』p232

読了日:9月15日 著者:永井均
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41175400

 

翻訳と日本の近代 (岩波新書)

翻訳と日本の近代 (岩波新書)

 

 ■翻訳と日本の近代 (岩波新書)

 主に明治期の翻訳を通した西洋文明の受容について語った対談。加藤の質問に丸山が応えるというフレームはあれど、そこまで立場ははっきりしているわけではなく、わりと対等に議論しているような印象。明治期の西洋文明受容の前提となったのは、それ以前の中国文明の受容が基盤となっているとの認識から、江戸期の話題も結構取り扱っていたような印象。とりとめなく様々な話題が触れられるような印象を受けて、あんまり議論についていけなかったけれども、個別の議論は印象に残るものもあった。漢語を通した二重翻訳の問題や訳語の考案の問題とか。とにかく二人の博覧強記ぶりに恐れ入るばかりだった。
読了日:9月15日 著者:丸山眞男,加藤周一
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41197358

 

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

 

 ■歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

 日本版歴史修正主義と、それに対する批判を、著者が整理した上であるべき歴史との向き合い方を提示する。修正主義者の本質主義的な発想を退け、構成主義的に日本国民を捉え、責任を引き受けることを主張した後は修正主義批判というよりは、それまでの修正主義批判の不十分さを批判することに紙幅が割かれる。野家の物語論批判は特に詳細になされ、それが自由主義史観と両立可能であることを指摘。他、上野千鶴子批判も大きく頁を割いて行っている。それらを踏まえた上での著者の立場は、デリダの「法の脱構築の実践」によって、より普遍的な法の在り方を追求する、というもの。

 その法の脱構築の実践として例示されるのは、2000年の「日本軍性奴隷制を裁く女性戦犯法廷」。ヨーロッパで生まれた国際人道法の普遍性は、ヨーロッパ中心主義的な世界観を称揚するのでは、という批判に対しても、その普遍性ゆえにヨーロッパ中心主義の暴力を暴き出す論拠となりうる、と主張。ここら辺の議論のダイナミズムが印象的。他の箇所は丁寧なテキスト読解に基づく批判というしんどい作業だったのでなおさら。
読了日:9月15日 著者:高橋哲哉
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41203394

 

日本の近現代史をどう見るか〈シリーズ 日本近現代史 10〉 (岩波新書)

日本の近現代史をどう見るか〈シリーズ 日本近現代史 10〉 (岩波新書)

 

 ■日本の近現代史をどう見るか〈シリーズ 日本近現代史 10〉 (岩波新書)

 このシリーズの各巻の著者によるそれぞれの解説と、成田龍一による総論からなる。各巻解説は、内容の要約というよりも各巻の問題意識を伝えるという趣旨が強く、それぞれの本の入り口としても、また読後に主要な論旨を再確認するのにも有用。それぞれの歴史叙述が、どのような問題意識に貫かれているのかということが簡潔に理解でき、さらに出版後の批判などに応えるような趣旨の文章もあり、むしろ読後に読んだ方がより面白いかもしれない。総論は、通史がいかに書かれてきたのかという史学史であり、どう書くのかという歴史論でもある。
読了日:9月17日 著者:成田龍一ほか
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41239855

 

身体/生命 (思考のフロンティア)

身体/生命 (思考のフロンティア)

 

 ■身体/生命 (思考のフロンティア)

 西洋近代における身体と生命をめぐる語りがどのようになされてきたのか、とりわけ死の定義とそれが逆照射する生命観を取り上げて論じる。絶対王政的な身体観は王の処刑をもって身体的にも概念的にも葬られ、それと時を同じくして肉体的な生=「有機的生命」と精神的な生=「動物的生命」の概念がビシャによって唱えられる。これを大きなターニングポイントとしているような印象。そうした生と死の系譜調べを経て、脳死の議論における死生観を読み返し、さらにはフーコーがかつて主張したような生権力への抵抗の仕方への異議を唱える。

 脳死を死とすることに反対する梅原猛の主張が冒頭で示され、著者はその脳死の議論の捉え方を強く批判する。梅原の理解はデカルト哲学と脳死を接続することで歴史認識の次元でも過誤を犯しており、加えて、脳死=精神の死であると理解することによって、精神の病んだ人たちの人権抑圧、殺害への道を開きかねないという。月並みな感想だが、身体/生命を語ることの恐ろしさというか、意味の重さを感じた。ビシャ以降の死をめぐる議論はあんまり理解できてない感じがあるので要再読。
読了日:9月18日 著者:市野川容孝
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41266699

 

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

 

 ■三四郎 (新潮文庫)

 三四郎くんのしょうもない大学生活になんだかとっても安心する、というのは置いておいて、地方=田舎から東京に出てきた人間の、悲しいくらいの無知というか、物事のわからなさが印象に残る。三四郎は芸術の良し悪しを語る言葉を持たないし、自分の感情すら明確に認識していないように思われる。その無知が同じく無知な自分に刺さる。そんな彼が、悪友や年長者との関わりのなかで、次第に身の振り方を自分なりに決めていく、決めていかざるをえない状況に置かれる物語だと思った。それでも三四郎は未だ「ストレイ・シープ」に留まっているんだろう。

 それはともかくとして、屑大学生物語in明治としてめちゃくちゃ面白い。三四郎は「生活に疲れた」とかぬかして大学をサボるし、悪友の与次郎くんは借りた金は返さないしイベサーみたいなことやってるし、現代の大学生のあれな感じと通底するものを感じる。百年前も大学生は屑だった。百年後の大学生の姿は如何に。

読了日:9月22日 著者:夏目漱石
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41379404

 

漱石と三人の読者 (講談社現代新書)

漱石と三人の読者 (講談社現代新書)

 

 ■漱石と三人の読者(講談社現代新書)

 漱石が、「顔の見える読者」(=弟子など)、「何となく顔の見える読者」(=新聞の読者)、そして「顔のないのっぺりとした存在としての読者」のように、読者の在り方に応じた読みが展開できるよう小説を書いていたのでは、という仮説を軸に、作品を読み解く。それぞれの立場からどのような読みの可能性が存在したか、ということを漱石研究の成果を活かして論じるその手際が見事。新聞という媒体で読む読者にも、単行本を手に取れる読者にも、それぞれ次元の違った楽しみを漱石は用意していたのかもしれない、と想像すると浪漫を感じる。

 文学史上の漱石の位置というか、どのような文壇の状況の中で漱石が登場したのか簡明に記述されていてよい。本筋では、特に大きく紙幅を割いて論じられるのは『虞美人草』、『三四郎』、『こころ』。特に『三四郎』は当時の帝国大学文化圏にいる人間と、そうでない人間とで、ドラマの読み取り方が全く違ってしまうのだということを、解釈の変遷を簡潔に整理しつつ説得的に論じていて面白かった。三四郎池の場面での、登場人物の移動の様子を捕捉することで、表層には書きこまれていないドラマを読み込む、その鮮やかさが印象的。
読了日:9月23日 著者:石原千秋
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41388521

 

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

 

 ■ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

 迷子探しを生業とする探偵、ディスコ・ウェンズデーが、養女梢をめぐる怪現象に導かれるように、名探偵が続々集まり推理合戦を繰り広げる館での事件に巻き込まれる。

 冒頭の、あっちこっちに話題が拡散しているスタイルには面食らったけど、以外とすんなり読めてしまった。しかし過剰なエログロにはちょっと辟易したかも。ファウスト系の作家の作品を読むのは初めてで、なんだか新鮮な感じ。上巻だとディスコさん翻弄されっぱなしみたいな感じだけれども今後どうなるんですかね。
読了日:9月24日 著者:舞城王太郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41438293

 

ディスコ探偵水曜日〈中〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈中〉 (新潮文庫)

 

 ■ディスコ探偵水曜日〈中〉 (新潮文庫)

 館での事件は、この巻でひとまず決着をみる。しかしそれは新たな次元での戦いの始まりでしかなかった。

 カバラだのなんだのと意味に溢れた館で、探偵が真実を求めて推理を繰り返してはその真実を取り逃がし続ける展開は冗長に感じたけれども、それらの過剰な意味を取捨して収束させる手際が見事。事の真相については、そんなんありかよというのが正直な感想。意思の力強すぎ。とはいえ、むしろここからが本番って感じで続きを読むのが楽しみ。引きがえげつなくて素晴らしい。
読了日:9月25日 著者:舞城王太郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41457174

 

ディスコ探偵水曜日〈下〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈下〉 (新潮文庫)

 

 ■ディスコ探偵水曜日〈下〉 (新潮文庫)

 探偵ディスコ・ウェンズデーは空間も時間も飛び越え、梢を救うため決死の闘いを続ける。

 ミステリーかと勝手に思っていたらめちゃくちゃ壮大なSFで、でもそんなことはどうでもいいと思えるほど面白かった。梢を、子どもをサディスティックな欲望から守るために三千世界を駆け巡ったディスコの戦いの帰結はニヒリスティクにも感じるが、しかしそれでも強く輝いている。理想郷とも思える新たな世界を創造してなお、自らは絶望の世界の中で戦い続ける宿命を望んで背負う。「この世の出来事は全部運命と意思の相互作用で生まれる」としても、いつか意思の力が未来を変えられるんじゃないかと思える。よすぎる。
読了日:9月25日 著者:舞城王太郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/41467359

 

来月のはこちら。


2014年10月に読んだ本 - 宇宙、日本、練馬

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