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自由なわたしたちのために——『マトリックス レザレクションズ』感想

【映画パンフレット】 マトリックス レザレクションズ 豪華版 監督 ラナ・ウォシャウスキー 出演 キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ジェイダ・ピンケット・スミス

 『マトリックス レザレクションズ』をみました。以下、感想。

 かつて、大ヒットゲーム『マトリックス』三部作を手掛けた伝説のゲーム・クリエイター、トーマス・アンダーソン。かつて精神の均衡を崩して以来、「青い薬」を常用してなんとか日々の仕事にいそしむ彼に、『マトリックス』の続編をつくれという社命が下る。仲間たちとともにゲーム作りに励む彼の日常が次第に崩れ、そして「赤い薬」をもった怪しげな男が現れる...。

 ラナ・ウォシャウスキーが手掛ける、『マトリックス』シリーズの18年ぶりの続編は、その制作にあたっての背景を露骨に物語に取り込み、なぜいまさら『マトリックス』なのか?という問いに、シリーズの生みの親が回答するような作品であった。作り手自身の意図というよりは、配給会社など諸々の力が働いたことで「甦り」を強いられたシリーズのありようが、ネオ=トーマス・アンダーソンの劇中の姿から透けて見えるという気がする。そうして自身の意志とは関係なく甦りを強いられたかつての救世主に、作り手はいかなる物語を、そしてその内実を与えたか。

 それはたとえば『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』がそうであったように、メタ的な仕掛けを明示的に導入し、二次創作的ともいえるような、キャラクターそのものへの落とし前をつける、そうしたことを第一の命題とするような物語であった。命を捨てて闘争を終結に導いた救世主が、自由な世界に飛び立つ。もはや世界の運命などはたいして問題ではなく、個人として自由であることの喜び。

 アクションの面では、たとえば『マトリックス』のような、それをオマージュする作品が雨後の筍のように出てくるだろうというような鮮烈なシークエンスは、はっきりいって存在しない。かつてシリーズのアクションをになったユエン・ウーピンの不在が明確に刻印されているという気もするし、しかしそうした鮮烈なアクションを売りにしようという意志がそもそも希薄という気はする。それは明らかにこの映画の魅力を減退させているともいえるのだけど...。

 この『マトリックス レザレクションズ』は、『ブレードランナー2049』や『最後のジェダイ』のような、同時代性をとりこみ、かつ作家性を強烈に背負った続編とはまるでちがう手触りがある。『ブレードランナー』とは異なり、同じ作り手が再びつくっているという点でそもそも決定的な差異があるわけだが、それ以上によりパーソナルな手触りを強く感じる。『マトリックス』は陰謀論的な思考を私生児的に生み出し、それがQアノン的なるものへと接続しているという指摘もある*1。そうした陳腐な陰謀論からマトリックスを奪還するために、あえてこの二次創作的な陳腐な救済が要請されたのかもしれず、だとすればそれは、商業的な要請によって作家に望まれずに語られたかもしれないこの物語は、十二分な誠実さで仕事を全うしたといえるかもしれない。でもやっぱり、もうちょっと素直にすげえ!といえるアクションシークエンスがみたかったわよ。

 

 

 

 

*1:河野 真太郎「ポストトゥルース、トランス排除と『マトリックス』の反革命 : もしくは、ひとつしかない人生を選択することについて」『現代思想 特集 「陰謀論」の時代』参照のこと