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都市と通勤と感染症──エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』感想

都市は人類最高の発明である

 エドワード・グレイザー著、山形浩生訳『都市は人類最高の発明である』を読んだので感想をメモ。

 都市にはさまざまな人が集まり、そこからイノベーションや文化的な発展も生じる。一方で、スラムが生じたりとか公共交通機関がパンク状態になったりだとかの害もある。「集まる」ことが極めて大きなリスクになりうることを、今般の新型コロナウイルス感染症を経験したわたくしたちは嫌というほど思い知らされたわけだが、新型感染症の例を引くまでもなく、古来より都市は感染症によってしばしば大きな被害を受けてきた。それでも、都市はすばらしいのだと著者はいう。

 本書は気鋭の都市経済学者による一般向けの書籍。注や索引こみで500頁近いが、実例をふんだんに盛り込んでいて案外すらすら読める。その実例の多さがくどく感じられるところもあるけれど、アメリカの諸都市やパリ、ムンバイなどの様子がわかってとてもおもしろく読んだ。

 本書の主張は山形浩生の訳者解説に端的にまとまっているので引用しよう。

人間を人間たらしめているすべて のものは、都市への人口集中で生まれている。誰も思いつかなかった新しい発想、新しい仕組み、そして都市そのものが作り出す問題への解決策も、都市が生み出した。都市スラムは悲惨だが、田舎にも貧困はあり、それは都市スラムよりもっと悲惨なことが多い。そして人が自然との共生だと思っている生き様の多くは、実は人の居場所を作るために自然を破壊し、エネルギー効率も低い。 今後、多くの人々 が田舎の貧困を逃れて都市部を目指す。 そうした人々を高密でコンパクトに収容し、そうした高密から 生じるアイデアをさらなる都市発展に貢献させる仕組みを作ることこそが今後の人類発展の鍵となる! これが本書の基本的な主張だ。*1

 郊外に住むのはエネルギーをめっちゃ浪費するので、都市にどんどん高層ビルを建て、高密度な都市を形成すべき!そして高層ビルの建設を阻む各種の規制は撤廃したほうがいいのではないか、と著者は主張する。歴史的建造物とかを安易に全部保存したり高層ビルの建設を規制したりするから、かつては貧しいアーティストなんかも住めたマンハッタンやパリはいまや高給取りしか住めなくなっとるやん…というのはなるほどという感じ。

 とはいえおもしろいのは、著者自身は(長い都市生活を経た末に)郊外の戸建てに住んでいることで、その実体験が「郊外暮らしは高くつく」という主張の根拠となる挿話のひとつとして出てくるんだが、結局明確に根拠のない「戸建て・持ち家信仰」の前には経済的な合理性とかふっとんじゃうんだろうなあと思う。いまは都内のタワーマンションなんてそれこそ高給取りしか買えないお値段だと思うんだけれども、郊外の戸建てを買う層が値段が安かったらタワーマンション買うかね?うーん、一定数は買うかもしれんが、どうだろ。

 それから、アメリカ合衆国の平均的な通勤時間が30分以内(マンハッタンでは平均1時間くらい!とても長いですねえという対比ででてくる)というのは驚き。わたくし郊外を転々と(転々というほどでもないけれど)していますが、通期時間が1時間を切ったこと、ないわね…。

 閑話休題。本書を読んでいま・ここのわたくしとして想起せざるをえないのは、やっぱり感染症のことだ。

人類史のほとんどを通じて、近接性は伝染病の拡大を可能にし、それが接近して暮らすようなリスクを冒す無鉄砲な連中を殺してきた。 コ レラと黄熱病の拡大を抑えるには、水道への莫大な投資が必要だったし、1990年代に犯罪を減らす には警察への莫大な投資が必要だった。何百万人もが小さな土地面積に集まるためには、熱心な公共部門が犯罪や病気と闘ってくれることが必要だし、だからこそニューヨーク市の人々は、カンザス州地方部の人々に比べて大きな政府が好きなのかもしれない。*2

 著者は人が集住することで感染症のリスクが高まることを認めつつ、しかしそれらが公衆衛生の発展によって克服されてきたことを示す。しかしわたしたちは、いまや感染症のリスクがいきなり急上昇し、生活に大きな変化を強いられる可能性があることを知っている。もはや通勤電車はすし詰め状態だし、新型コロナウイルス感染症も過去のものとみなされつつあるが、しかしこの数年の息詰まる日常のことを、わたくしはしばらく忘れないだろう。

 吉見俊哉は近著『「敗者」としての東京』の冒頭で、東京都心のオフィスの空室率の増加やテレワークの普及から、東京があらたなターニングポイントを迎えつつあるのではと書いている。

 本書で輝ける都市の一例として例示される東京も、この感染症によって曲がり角を迎えるのかもしれない…と思いつつ、しかしすし詰め状態の満員電車は、けっしてその構成員にはうれしくないかたちで、「都市の勝利」を証しているようにも思える。

シリコンバレーバンガロール見ると、電子的な交流により対面コンタクトが古くなったりしないということがわかる。コンピュータ産業は、他のどんなセクターよりも、遠隔コミュニケーションが対面の会合に置き換わりそうな場所だ。コンピュータ企業は最高のテレビ会議ツール、最高のインターネットアプリを持ち、はるかに遠い共同事業者を結ぶ最高の手段を備えている。でも長距離で働く能力があっても、この産業は地理的な集中の便益を示す例として最も有名な業界になっている。電子的に接続すればすむ技術的イノベーターたちは、対面で会える便益を獲得すべく、アメリカ最高級の不動産費用を支払い続けているのだ。*3

 上記の指摘は、コロナ禍での遠隔コミュニケーションツールが人口に膾炙したいなだからこそ、やっぱり強く感じるところではある。しかし東京をさらに高密にするのは、中心の皇居がじゃまよね!!!!

 

あ、伝統ある山形浩生氏のウェブサイトにわたくしのかすかな貢献が載っています!とってもうれしかった!!!山形さんありがとうございます!

cruel.org

 

 

 

 

*1:p.364 訳者解説

*2:p.150

*3:p.44