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東京、虚構、労働──『PERFECT DAYS』感想

SWITCH Vol.41 No.12 特集 すばらしき映画人生! ヴィム・ヴェンダースの世界へ

 『PERFECT DAYS』をみたので感想。みてからだいぶ時間が経ってしまった。

 木造、古めかしいアパート。近所の神社を掃き清める音で、男は目覚める。身支度を整え、家の前の自販機でコーヒーを買い、車に乗り込む。職場への道中、お気に入りのカセットテープをセットし、古い音楽がカーステレオから流れる。有名建築家が設計した奇矯な公衆トイレを、男は掃除していく。同僚はかならずしも仕事熱心ではないが、男は丹念に空間を清めていく。仕事を終え、銭湯で身を清め、いきつけの飲み屋に行き、そして枕もとに置いた本を読み、寝る。変わらぬくらしと、しかし不意に訪れる変調の兆し。

 『パリ。テキサス』、『ベルリン 天使の詩』のヴィム・ヴェンダースが、現代の東京を舞台に、役所広司を主演に据えて、ささやかな暮らしを営む中年の男を描く。この映画で役所はカンヌの主演男優賞を勝ち取った。現代の東京が巨匠の目で切り取られ、そしてそこにルー・リードパティ・スミスなど往年の名曲が重ね合わせれることで、感傷的でどこか懐かしい感触もする。

 役所演じる平山が、まさしく清貧ともいうべきつつましやかな生活を送っていて、かつ(オーセンティックな教養とも重なるような)洗練された趣味をもつことで、かなり嫌味な感じに振れてもおかしくはないところを、画面の清涼な印象と役所広司の力でそうなっていないのが流石のバランス感覚というべきか。若い女性に古い音楽やらを意図せず紹介して感化するくだりとか、かなり恥ずかしい自意識を感じなくもない虚構だが、まあ愛嬌といって処理できた。

 東京の風景とその日々から、押井守がかつて『スカイ・クロラ』で語らせたような、「いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。 いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。 それだけではいけないのか。 それだけのことだから、いけないのか」という問いが響いているような気もした。

 平山という男は資産家の一族に出自をもつらしいことが示唆され、こうした「完璧な日々」がそもそも特権的な経済基盤に裏打ちされていることを暗示したことは一つの誠実さではあると思う。一方で労働にまつわるリアリティは極めて希薄で、そこが大きな瑕疵におもえた。柄本時生演じる同僚が仕事を投げ出したことで、平山は作中で珍しく声を荒げるが、それは何よりも自身の労働の負荷が高まることへの怒りだった。ここにのみ労働の苦しみのリアリティが適切に表現されているが、これも結局は一時的なものとして処理され、再び平穏な日々が帰ってくる。しかし、労働のリアリティとはつまるところそのような過剰な負荷が恒常的にかかるという点にあるのではないか。『PERFECT DAYS』のもっとも残酷な虚構は、この点にあるように思えてならない。