宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

宇宙 vs. 人類 ――『オデッセイ』感想

映画 オデッセイ ポスター 42x30cm The Martian 2015 マット・デイモン ジェシカ・チャステイン リドリー・スコット [並行輸入品]

 

 『オデッセイ』(原題: The Martian)を3D字幕版でみました。幸福になった。以下適当に感想。

  果てしなく広がる赤い荒野のただなかに男はいた。見渡す限り、砂、砂、砂、ないしは山。男は世界にひとりぼっち。唯一の頼りは、彼の仲間がそこに遺したわずかな物資のみ。そこは火星。男の名はマーク・ワトニー。はるか遠く、地球の人々も、死亡したと思われていたマークの生存に気付く。ワトニーは自分の命をつなぐために、地球のプロフェッショナルたちは一人の命を救うために、絶望的な戦いの火ぶたが切って落とされた。

 『オデッセイ』は火星と、いや宇宙と人類とが対決する映画だといえる。その対決は、人類が宇宙を征服するとかとかそういうたぐいの戦いではなく、圧倒的な宇宙の力の前に人類が撤退戦を繰り広げる、そういう種類の戦い。人類の生存をはっきりおびやかす宇宙の暴威の前に、人はあまりに無力。冒頭のシークエンスで示される火星における嵐の迫力は、まさにそれを我々の心に刻み込む。ここの3Dの感触が非常によくて、砂の粒子が立体的に舞い散っている様に感動を覚えました。そのようなあまりに強大な敵を相手にするのだから、そりゃとびきり優秀な人間たちがその矢面に立つわけで、出てくる人間出てくる人間超優秀、しかも足の引っ張り合いなんぞしてる余地もない。合理的でない人間が一人もいないとこうまでストレスレスに没入できるもんかと。

 宇宙の圧倒的な力に晒される人類の武器は、科学技術。ワトニーは専門とする植物学を用いて火星で生存をめざしていくわけだけれども、彼の身体にはこれまで人類の積み重ねてきた科学研究が流れ込んでいて、彼の生存戦略は人類の英知の結晶ともいえる。かつて人類が火星に着陸させた遺物を彼が探し当てるのは、まさに彼が過去から連綿と続く科学という営みをその身に背負っているのだということを象徴的に示しているようなきがする。

 その科学描写が非常に楽しく、ワトニーのむやみに明るいキャラクターとあいまって、絶体絶命の状況で奮闘するという絶望的なシチュエーションであるにもかかわらず雰囲気が決して暗くはならない。いやワトニーの明るさの源泉こそ、そうした自身のうちに蓄積された科学技術への信頼であるのかもしれない。

 彼を支えるのは、決して科学の力だけではない。船長の残していったディスコ・ミュージックをワトニーは腐し続けるけれども、それはおそらく彼の心を鼓舞し、さらに彼はクライマックスでは『アイアンマン』として船長のもとに辿り着く。ここでコミックが参照されることに僕はすげえ意味があるなとおもって、それによってワトニーが決して科学だけに生かされているのではないのだと。『オデッセイ』は科学によって生き残る物語であると同時に、フィクションを参照軸にして生をつかみ取る物語でもあると思うわけです。

 ワトニーは火をおこすために十字架を火種にすることも辞さないけれども、その直後彼は手痛い失敗を犯すわけで、その挿話もなんというか象徴的って気がするのですよね。つまりなにが言いたいかというと、ワトニーの武器ってのは直接には科学なわけだけれども、人類がいままで積み重ねてきた無数の営為が彼のなかに流れ込み、そして宇宙という途方もないものと戦い続けたのであり、そしてその戦いはこれからも続くのであると。そんなわけで『オデッセイ』、よかったです。

 

関連

  氷の惑星だったらワトニーさん大変なことになっていたのでは

 宇宙のシークエンスの迫真性は『ゼロ・グラビティ』とならぶんじゃないか。

 

 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

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火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

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Songs from the Martian

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  まさかこのタイミングであの曲をスクリーンで聴けるとは思いませんでした。

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【作品情報】

‣2015年/アメリカ合衆国

‣監督:リドリー・スコット

‣脚本: ドリュー・ゴダード

‣原作:アンディ・ウィアー『火星の人』

‣出演