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ずっと「とびきりの時」を——楠みちはる『湾岸ミッドナイト』感想

湾岸MIDNIGHT(1) (ヤングマガジンコミックス)

 『湾岸ミッドナイト』おすすめといわれても、車に興味ないんだよな。そう思っていた。大きな過ちであった。

 首都高速湾岸線。そこには悪魔が棲むという。「悪魔のZ」とよばれる初代フェアレディZ。男たちは時速250Km超で疾走するチューンドカーに乗り込み、悪魔と戯れる。

 楠みちはるによる、1990年からの長期連載作品。バブル景気の末期にはじまり、連載開始からまもなくバブル崩壊にみまわれたわけですが、作中にはバブルの狂騒、その黄昏どきの退廃的な雰囲気が時折ただよう。

 つい昨日まで、会員登録すればウェブ上で無料で読むことができて、わたくしこの大型連休のあいだにちまちま読み進めていました。これは、いまのわたくしが読むべき漫画であった…。『湾岸ミッドナイト』は公道レースの漫画である以上に、「ここではないどこか」を希求するものたちの漫画なのだ。

 日々のよしなしごとに埋もれる中で、なにか曰く言い難い「飢え」に苛まれる。その飢えを癒すには、「ここではないどこか」を目指さなければならない。公道レースはあくまでも「ここではないどこか」につながるかもしれないバイパスにすぎない。その意味で、インターネット上で「ここではないどこか」を探したり探さなかったりするおれたちもまた、車云々の次元とは関係なく、この漫画の登場人物の伴走者なのだ。

 そして、「ここではないどこか」を人はどこかで断念しなければならない…。

勝者はいない
おりる者と残る者・・
・・ただそれだけだ

 「悪魔のZ」を駆る朝倉アキオはまだティーンエイジャーだが、周辺人物は年を重ねたおじさんが多い。『湾岸ミッドナイト』の語りは「悪魔のZ」そのものよりも、それに魅入られ勝負を挑もうとするものたちの群像劇的な味わいがあり、首都高で伝説の存在に挑み、そしてそれぞれの事情——重病、郷里に帰った恋人——で鉄火場から去っていき、ドラマにひとまずの区切りがつけられる。いま最速を競うものたちも、いずれはそこから去っていくことを運命づけられている。「ここではないどこか」を諦めて、「いま・ここ」の生活に帰還するのだ。

 そのなかで、年を重ねても改造車の世界に身を置き続ける者たちもいる。「悪魔のZ」の生みの親、「地獄のチューナー」こと北見淳は、自身の実生活の破綻を超えてなお「オレはずっととびきりの時を過ごしている」と言い切ってみせる。

 もうここで俺の中の『湾岸ミッドナイト』は完璧に終わってしまったんですよ。誰しもそこを去るときはくる。所詮くだらない意地の張り合いにすぎない。なんの意味もない。しかしそれでもそこには「とびきりの時」があったのだし、そして現にあるのだ、と。わたしと世界とのままならない関係、そのなかで「とびきりの時」を生きつくそうとする男たちの輝き、それが描かれているこの漫画に、なんだかほんのすこし、救われたような気持になったのだった。

 

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 「ここではないどこか」の希求という意味では、10年代を代表する作品の一つであろう『宇宙よりも遠い場所』のことを想起しないわけにはいかないが、彼女たちが「きっとまた旅に出る」のに対して、『湾岸ミッドナイト』の男たちはもうそこで走ることはできないのだよな…。

amberfeb.hatenablog.com

 

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