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苦しみを君と分けあって────『君は放課後インソムニア』感想

能登星

『君は放課後インソムニア』をみたので感想。原作はこれから読みます!

 不眠症に悩む高校生、中見丸太は、ふとしたことから、クラスメイトの曲伊咲も同じく不眠で苦しみ、時おり誰もいない天体観測室で睡眠をとっていることを知る。不機嫌で内気な中見と、活発でクラスの輪に溶け込む曲は級友ながらも接点はなかったが、同じ悩みを共有していると知ったことで、奇妙で特別な時間をともに過ごしていくことになる。

 オジロマコトによる漫画作品のアニメ化。おなじ苦しみを抱えた少年少女の交感と、二人が取り組む天文部の活動が描かれる。二人が通う高校は石川県七尾市に所在する設定となっていて、天文部の活動のなかで能登半島ランドスケープをめぐっていくことになる。これは2024年のいま、特有の磁場をまとっていていることは言うまでもない。2024年始の能登半島地震で崩落してしまった見附島が象徴的だが、地震で大きく傷ついた能登半島の景色が、作中で印象的に映し出される。七尾市をはじめ、それらの風景はこのアニメのもうひとつの主役といってもよく、自然災害で傷つけられる前の姿が、こうしてフィクションのなかに、あるいはそれを視聴した人の記憶のなかに残ることは、少なくない意味があるような気がしている。

 さて、お話の中心となるとは中見と曲のラブストーリーであるわけだが、この二人の関係性に大きなコンフリクト────たとえば三角関係とか、二人のすれ違いとか────を導入してドラマを展開されるような作劇にはなっておらず、むしろこの二人が交流を深めることで、それぞれが世界との向き合い方を学んでいく、そうした成長譚としてのニュアンスが色濃い。

 不眠症で苦しむ中見はつねに不機嫌にみえ、友人もほとんどいない。自分こそが特権的に苦しんでいるのだという感覚が、他者とのあいだに深い溝をつくっているようにもみえる(物語が進むにつれ、中見のパーソナリティの形成には家庭環境が大きく作用しているらしいことが示唆されるが、そうした要因を過剰に強調しないことはこの作品の明白な美点である)。そんな少年が、自身と同じく不眠に悩み苦しむ少女を知っていくことで、苦しいのは、つらいのは自分だけではないこと、自分以外の他者もそれぞれ悩みながらもなんとか日々を送っているのだという、言葉にしてしまえば陳腐で当たり前の事実を理解する。

 ドラマは少年と少女の関係に閉じているわけではなく、高校の天体観測室から七尾市、そして能登半島へとロケーションが開けていくように、級友やその家族、教員や天文部のOGなどとのかかわりにも人間関係が広がっていくようになっていて、それも成長譚を単調でないものにしている。中見と曲の関係は余人には理解しがたいのではと思える親密さを帯びるようになるが、それを級友が茶化して関係性が気まずくなったりということもない(天文部OGの白丸先輩は茶化してくるが、それは白丸のおさなさを強調するギャグとして処理され深刻さを帯びない)。登場人物は概してクレバーでやさしい。 

 この作品の主題はままならない世界といかに和解し、どうにかやっていくのか、という問いにある、といったら大げさかもしれないが、フィクションの役割のひとつは、いま・ここの私に世界との関係の結び方を教えることだとすれば、『君は放課後インソムニア』はまさしくフィクションの使命を果たしているといえる。不眠症という問題を完全に解消するのではなく、そうした苦しみを抱えながら、それをともにわかちあえるような関係を築こうとすること、苦しみをともに抱えてやっていくという落としどころは、優れて現代的でスマートに感じられた。

 

関連

能登半島を舞台とした作品としてまっさきに『スキップとローファー』が想起されますが、『君は放課後インソムニア』と同じく高校生がめちゃかしこいんですね。進学校かよ!となる。

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「ままならない世界といかに和解し、どうにかやっていくのか」というのはたとえば『ぼっち・ざ・ろっく』とも重なる問いだと思うんですね。

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米澤穂信はその小説のなかで、「思春期の全能感」を主題としてしばしば反復している。中見が抱えるのはその「全能感」の裏返しとしての不全感だろう。その意味で、たとえば『僕の心のヤバイやつ』とも主題を共有しているともいえるかもしれない。

 

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